日本人の起源(ルーツ)を探る―あなたは縄文系?それとも弥生系? (新潮OH!文庫) 文庫 – 2001/2 隈元 浩彦 (著)

日本人は、元々住んでいた均質性の高かった縄文人に、殷のできた頃に中国大陸から朝鮮半島南部や日本列島に逃れた倭人が加わり、さらに渡来人が混じりあってできたのだろうか?

本書は、骨格、遺伝子、墓の形状、使われていた道具、ATLウイルスの保有率、血液型、日本語の特長などさまざまな分野から日本人の成立について探った本です。1998年に毎日新聞社から発行された『私たちはどこから来たのか 日本人を科学する』の文庫版とあります。

埴原和郎氏の二重構造モデルに関連する内容が多く、縄文人と弥生人の歯や骨格の違い、縄文系と弥生系の比率が3対7と推定されることなどが示されています。

方言と同じように、関西地方が最も日本的(弥生的)な特徴が強く同心円状で縄文系が強くなることや、新大陸の先住民が天然痘によって激減したように、かつて日本でも弥生系によってもたらされた伝染病によって縄文系が激減した事件があったかもしれないといった説も紹介されています。

また、日本語には北方と南方の言語の特徴が同居していることから、言語の混合によって日本語が誕生したであろうのことです。

文化的にみると縄文時代の道具が弥生時代になっても使われていることから、縄文人と弥生人は争いながらも共存していたと推測され、その背景として山がちで平野の少ない日本の地形が、山に住む縄文系と平地に住む弥生系という棲み分けを可能にした可能性が指摘されています。

また、現在では概ね否定されている騎馬民族国家説についても一章が割かれています。政治的な勢力である遊牧民が異民族の支配者層に入り込むという構図は、再検討に値するものではないでしょうか。

愛知県清須市の弥生時代の遺跡から逆茂木を使った大規模な防御柵が発掘されています。本書では、これは、縄文人と弥生人が百年にわたって抗争を続けた跡ではないかとする説が紹介されています。この説も、本書の出版時点でもある程度否定的に受け止められていましたが、こうした説も含めてあるところも、本書の特徴であろうと思います。323ページありますが、文庫本ですのでそれほど文章量が多いわけではありません。けれど、しっかりした内容ですので読むに時間がかかりました。

私は、日本語は、日本列島で生まれたのではなく、中国の黄海沿岸あたりで南北の民族が混合してできたのだという説をネット上で読みました。この説を検証する目的で本書を読んだのですが、少なくとも、直接つながるような情報はありませんでした。けれど、読む価値は十分にあったと思います。

以下、余談です。

概ね弥生人と同じであるといえる遺伝子を持つ人骨が中国の山東省から発掘されています。今、そこに日本語を話す人はいませんから、漢民族に吸収されたか、民族ごと海を渡ったかのどちらかなのでしょう。日本に来て農耕を続けた弥生人は人口増加率が高くあっという間に増えました。そのため、縄文人と弥生人の特徴が3対7であるからといって、弥生時代にやってきた人々が先住民の倍以上いたということにはならず、少ない数の弥生系が子孫を増やしたと思われます。

そうであれば、中国にいた倭人(弥生人)は、あまり大きな民族集団ではなかったのかもしれません。そして、その大多数が漢民族の圧迫を逃れて日本列島に渡ってきたのかもしれません。だとすれば、倭人は、『ゾミア』に住む焼き畑農耕民たちと同じように、強力で大きな民族集団から逃げた人々であって、たまたま農耕に適した日本に来たこと数を増やして国を作るまでになったのかもしれません。今の日本が、諸外国からの押され気味になっているのも、そうした歴史の故なのかもしれません。

人類史を探るということは、現代を把握しなおすことにもつながります。