「アナーキスト人類学のための断章」デヴィッド グレーバー (著), 高祖 岩三郎 (翻訳)(以文社 2006年11月)

「アナーキズムが気違いではないと信ずる理由があると感じる者はアナーキストになることが多い。」


本書の著者は、デヴィッド・グレーバーは、十代後半の頃、自分はアナーキストであるという認知にゆっくりと覚醒したという。
人類学がアナーキズムを伝播するもっとも明白な理由は、それが人間性に関してわれわれが手放さない多くの通念が真実ではないことを、否応なく証明するからである。(7ページ)
このように記す彼の思想は、しかし、難解である。
われわれの最終的な標的は「非疎外的な経験が可能になる次元とは何か?」「その属性/様態(modalities)はどのように思考され要覧されうるか?」ということである。(134ページ)
この文章の意味を私は容易に理解できない。しかし、この部分に続く内容は、本書を読めと私に告げてくるのである。
ジョン・ゼルザンのような原始主義者(primitivist)は、われわれを仲介なき純粋経験から切り離しているとみなされるものを除去しようと試みて、ほとんどあらゆるものを抹消してしまう。ますます影響力を持ちつつあるゼルザンの仕事は、言語、数学、時間分節、音楽に加え、あらゆる芸術/表彰形式を拒絶する。それすらすべてを疎外の形態として非難した挙げ句、残されるものは、存在しえない類の進化論的理想なのだ。真に疎外されていない人間とは、もはや人間でさえない。一〇万年前に生息していたかもしれない、ある種の完璧な猿である。(135ページ)
ここに私は、ゼルザンと出会うのであり、むしろゼルザンこそが現実主義者であるとみなすのである。『ピダハン』の生きる直接経験の原則による社会はこれに近く、ピグミーやブッシュマンの音楽を聞き慣れた耳には聞かせるための音楽の持つ欺瞞性が明らかになる。
 
本書には、このような有用な情報への言及が多く含まれている。
 
たとえば、政治学者であれば、王や貴族がいて、外見上君主制をしいていようと、機構上国家ではないことが十分ありうる(123ページ)という記述を見過ごすことはできないだろう。

グローバリゼーションに危機感を持つ者であれば、マスコミによって「反グローバリゼーション運動」のレッテルを張られながら、権力奪取によってではなく、それに代わる民主主義的自己組織化のモデルを創造することを目指す、メキシコのチアパスから始まった動きについて知ることは有意義だろう。

中世キリスト教世界の職人たちは必要以上に収入を得ようとはしなかった(11ページ)と知れば、思い出されるのは『逝きし世の面影』に描かれた職人たちのゆったりした仕事ぶりであり、共産主義社会では人びとの実際の労働は週二〇-二五時間のみであった(13ページ)と知れば、共産主義はある意味では成功していたのであると知ることになる。

他にも多くのキーワードを本書は提示している。南米オリノコ川流域のピアロアの作る平等主義的社会、中央ナイジェリアのベヌエ川河畔に住むティブによる平等主義的社会、マダガスカル高地にできた、中央政府が実質的に引き払った後の非公式な共同体。ジェームズ・フレーザー卿、ロバート・グレーブス、アル・ブラウン、マルセル・モースなどの人類学者。

難解な言い回しや、思想の違いから、私にとっては高く評価したくない本なのだが、魅力的な文章が散在していることも事実である。
もしあなたが人びとを本気で大人として処するなら、彼らは即刻、大人として行動しはじめるだろう(9ページ)。

■内容の紹介
 
一九八九年に二年間のフィールド調査のためにマダガスカルに到着した時、私はアリブニマム(Arivonimamo)と呼ばれる小さい町に住んだ。 そこでは地方政府は、実質的に機能停止し、そのまわりの地方では政府は完全に消失していた。 – 15ページ
 
彼らはクエーカー教徒やアメリカ先住民や本で読んだことから、その部分部分を取り集め、そこからすべてを創造しなおさねばならなかったからである。 われわれにとっては、そのどれもが、自然に伝授されたものではなかった。 だがもしわれわれが、誰もが何事をも他人に強要することのない社会を形成するための、集団的意志決定過程を創造しようとするならば、何千年もの間、そのように生きてきたコミュニティにおいて採用された方法から学びうるに違いない――それは確かだった。 – 20ページ

・ラドクリフ・ブラウン:ピョートル・クロポトキンを崇拝し、「生き残ることにもっとも成功した種とは、もっとも効果的に共同作業することができた種であるという記録を提示することによって、社会ダーウィン主義を回復し得ないほどの混乱に陥れた」(55ページ)

・マルセル・モース:革命的社会主義者であり、資本主義に対する現実的な代案を提出するたmねい民族学的資料を調査。『贈与論』を著す(56ページ)

・少なくとも自分の敵ではない誰かに対して――最大の利益を引き出す目的で経済的取引をすることは、攻撃的な行いであるという前提を確立(贈与経済)(62ページ)

・ピエール・クラストル:昨今の記憶においてはっきりアナーキストであると自認する(希少な)人類学者(62ページ)

・アマゾンの人びとは国家権力の初期段階的形態に気づいていないわけではなく、われわれの政治科学が基本的前提していることが、道徳的に間違っていたと考えているのかもしれない(63ページ)

・クラストルは、女性の役割を超えでようとする女性たちを輪姦することで、彼女らを脅すことで有名なアマゾン社会を、まったく平等主義的な社会として紹介する盲点をさらすというナイーブさを持つ(64ページ)

・モースとクラストルの議論は、対抗力とは、領主や王のような人物が現れないことを確実にする制度として形成されてきたのだというラディカルな内容を持っている(66ページ)

・ピーダー・ランボーン・ウィルソンが、支配の出現に対抗する機構を設置することを「クラストル機械」と呼んでいる。それ自体もまた、諸々の黙示録的な空想に捉えられる可能性を持っている。(76ページ)

・ほとんどの近代的憲法制度は(アメリカ革命、フランス革命などの)反乱によって創出されたと認識されているが、これによって成立した「近代」世界とその他の人類史的領域を区別する要素や、何がピアロア、ティブ、マラガシなどの人びとをそこから追放する領域を画定するかを問う必要がある(82ページ)

・実際に存在した政府なき社会:ボロロ族、バイニング族、オノンダガ族、ウィントゥ族、エマ族、タレンシ族、ヴェズ族

・近代テクロノジー社会におけるアナーキズム:モンドラゴン共同組合、Linux
 
・全社会的変革:パリ・コミューン、スペイン革命→みんな殺されてしまった(85ページ)
 
・「われわれは近代的だったことなどない」という思考実験をしてみよう(94ページ)

・西欧が1500年~1900年の400年の間に、世界のほとんどを征服することを可能にした優位性を学者がいぶかるようになったのはごく最近のことである(97ページ)
 
・ヨーロッパ人をして、市場に可能な限りの量の銀や砂糖を導入するために、世界の多くの地域の人口を根絶やしにした、どのような人間的関心よりも損得を優先させるという意志は、「資本主義」や通商と金融のための機構とはまた別に考える必要がある(100ページ)

・少なくとも合衆国において、人類学をもっともまともに考えたアナーキストたちとは、いわゆる原始主義者(プリミティビスト)たちであった。人間性をとり戻す唯一の道は近代性を完全にはぎとってしまうことだと主張している。 マーシャル・サーリンズの「本来の豊かな社会」(”The Original Affluent Society”)というエッセーに影響されて、疎外と不平等が存在していない時代、みなが狩猟民のアナーキストだった時代があったというのである。(105)

・より最近の民族学的資料によれば、たとえば貴族と奴隷を持った狩猟社会もあれば、平等主義的な農業共同体もあった。アマゾンでは平等主義的なピアロアと好戦的なシュレンテが隣り合って暮らす。 「社会」は、われわれが異なった進化の段階と考える状態を往復しながら、恒常的に己を再編している。(106)

・ピーター・ランボーン・ウィルソンによる北米東部の「ホープウェル文化」や「ミシシッピ文化」の崩壊についての考察:聖職支配者によって統制され、排他的階級制度によって構造化され、人身御供によって保持されていた文化が崩壊して、より平等主義的な狩猟/採集民的あるいは園芸的な社会になり代わった(116)

・チアパスにおけるサパティスタ蜂起は、ラディカルな変容を目指す反乱集団としてではなく土着的な自立を要求するマヤ・インディアンの集団と定義されて狭小化された。 主に北米とヨーロッパの十代のアナーキストたちだけが、彼らの真に言いたかったことを聞いてきた(174-176)

・「グレーバー現象について」より:ラディカルと言う、「現実に存在しえないほど」の変革を目指し、共感的な視線を失う運動ではない場所で、世界中の人びとは闘い続けてきた。 ことに一九九四年、メキシコ南部の山間部で始まったサパティスタ蜂起に大きな衝撃を受けた若い趨勢が、世界中で、感性においても思想においても、六〇年代が目指したものとは違った新しい「世界変革」を目指して動き始めた。 それがグローバル・ジャスティス・ムーブメントであった。(180)

・グレーバーは、人類史上で突発的スポンタネアスに見える多くの大変動が実は組織化によっていたのではないか、という疑いを表明している。*(190ページ)

*デヴィッド・グレーバー「新しいアナーキズムの政治」、『VOL』創刊号、2006年、以文社、91ページ

・グローバル・ジャスティス・ムーブメントが掲げる主要な行動原理のひとつは、すでに何度か言及された「予示的政治」である。 つまり、「今ここにある集団の人間関係において、理想社会を実現せねばならない」という信念である。 そしてこれを実現していくために(グレーバーがもっとも重視する)直接民主主義的な合議方法、集団的意志決定過程、あるいは合意形成と呼ばれる実践的方法=技術がある。(191ページ)
 
人類学者による社会変革に関する著作を、熱意ある翻訳者が、「社会が変わる」と感動しながら訳した作品として、『イシュマエル』、『豚と精霊』に通じるものを感じました。 私自身は、原始主義者の道を進みたいと考えています。ジャスティスとか理想の実現という言葉は、原始主義者にとっては無縁であると考えるためです。 “The Original Affluent Society”は、『石器時代の経済学』として出版されているようです。