蝦夷の古代史 (平凡社新書 (071)) (日本語) 新書 – 2001/1/1 工藤 雅樹 (著)

考古学者の視点から、古代の東北地方に暮らした「蝦夷(えみし)」と呼ばれた人びとの古墳時代から平安末期までの軌跡をたどり、縄文人の子孫がたどった複数の道を探る

あとがきによると、本書は、同著者による『古代蝦夷の考古学』『蝦夷と東北古代史』『東北考古学・古代史学史』という3冊の本の内容を一冊のまとめたうえで、書き足りない部分を補った『古代蝦夷』から、本書の主題の即した部分を中心にわかりやすく書き改めたものです。このため、新書でありながら専門的かつ内容の濃い本となっています。

内容は、概ね紀元後の東北地方の出来事に限られているため、縄文時代の列島全体についてや、おそらくは九州から近畿にかけての地域で起こったと思われる、初期の縄文人と弥生人の出会いや交流については扱われていません。

東北地方の蝦夷は、エゾのアイヌと同一の民族であるとする説が江戸時代から存在しています。これに対し、古代の東北地方には早くから稲作が広まり、前方後円墳も作られていることから、東北地方のエミシは日本人の一部であるとする説が生まれて有力視されるようになってきました。

本書では、8割ほどを占める第1部で古代から平安時代までの蝦夷の移り変わりを考古学的根拠に基づいてたどったうえで、第2部でエミシはアイヌか日本人かを考察しています。

当初東北地方の北部まで広まった稲作が寒冷化に伴って放棄され、北海道を中心とする擦文文化が東北地方にまで広まっていたことや、大和政府勢力との接触の中で部族社会である蝦夷の社会で争いが激化し、チャシと呼ばれる砦が東北地方から北海道南部にかけて作られるようになったこと、蝦夷出身の豪族が支配勢力として大和政権に取り込まれていく様子など、東北地方まで広がっていたアイヌ語の世界が、次第に狭まっていく様子が見えてきます。

蝦夷が日本人であるのか、アイヌであるのかについて著者は、アイヌ民族も日本民族も超歴史的存在ではないとの見解から、この問題設定そのものが意味をなさないとしています。東北地方の特に北部から北海道までが同じ文化圏に入ることや、アイヌ語地名の広がり、またぎが山で使う言葉がアイヌ語の単語に近いこと、アイヌと同じ風俗を持つ人々が江戸時代の初めあたりまで南部藩や津軽藩にも居住していたことなどが記されており、蝦夷はアイヌと同じく縄文人の末裔であって、稲作民との関係性の中で、アイヌとなった人々もいれば、稲作民の世界に取り込まれていった人もいたという筋書きが示されています。北海道のアイヌ文化についても、古代から続く文化としてではなく、鉄器と毛皮などによる交易を前提とする中で成立してきた文化であると把握されている点に新鮮さを感じました。平泉藤原氏には多くの蝦夷系の血が入っていたことは間違いないともあります。

歴史に学べと言いますが、12世紀頃までの東北地方の歴史を扱ったこの本から学べることは多くあると思います。

・いったん東北北部まで広まった稲作が放棄されたのは寒冷化が原因だった
・大和朝廷との出会いが毛皮などの商品価値を高め、部族社会を変質させて部族間衝突の緊張が高まる
・部族間紛争を終結するために大和朝廷への従属が選ばれる
・蝦夷の有力者は大和の権力と接近することで権力を維持しようとする
・大和朝廷は敵対的な砦ではなく、役所的色彩の強い城柵を設置することから東北支配を開始する
・大和朝廷は東北地方に移民を送り込むとともに、蝦夷を俘囚として他地域に強制移住させる
・蝦夷の有力者は、大和政権の支配の枠組みに取り込まれていく

今日本は、この当時の縄文人の末裔たちと同じく、西洋文明との接触の中で、社会が変質し、より大きな勢力に取り込まれていく過程にあり、有利な立場を求めて西洋文明との親和性を高めることを選ぶ人々が多いという状況にあるように私には見えます。