「民主化」を進める人々の正体は言語を滅ぼす人々だ

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今回も、国際金融資本について書いてあります。

 

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現在のような国家ができたのは国際金融資本が影響力を増して世界を統制しはじめてからだった。それ以前は、地域を治める力を持つ者が作った国家か、国家という枠組みの存在しない社会が広がっていた。

 

国際金融資本は、そうした従来の国家を滅ぼして、国民が主権を持つ民主国家を作った。けれど、日本の明治維新前後を見ればわかるように、国際金融資本が統治する前の社会には共同体があり、住民が参加できる政治があった一方で、民主国家においては中央集権の下で共同体は破壊され、住民は政治に参加できなくなって、国家主導の経済活動がいやおうなく推進されている。

 

国際金融資本が作った国家は、経済活動の妨げとなるとともに、人々の生き生きした生き方を支えるものでもある、方言を話すことを禁じる。おなじように、土着の宗教を禁じて、搾取される労働者のための宗教であるキリスト教を布教する。

 

国際金融資本が作った国家は、地域の人びとが地域のために維持管理してきた山や川を取り上げる。

 

国際金融資本が作った国家は、裁判制度や選挙制度を整えるが、国際金融資本に歯向かう裁判官は罷免され、選挙の透明性は確保されることがない。そして、国際金融資本にとって都合の良い政治だけが行われる。

 

国際金融資本が作った国家は、国際金融資本の意のままに動くメディアのみが大きくなり、特定の勢力を批判する言論は決して許されない。

 

たとえば、こうした現代国家の正体に気づいて新しい国を作ろうとする政治家が出現したとしよう。国際金融資本は、対抗勢力を育て、国際金融資本を打倒しようとする政治家については誹謗中傷を繰り返すようにマスコミに命じ、選挙で落選させることを狙う。それでもうまくいかなければ内紛を起こさせ、軍事介入の果てに奪いとってしまい、「市民の勝利」を描いてみせるのだ。

 

 

国際金融資本は、こうして現代社会を牛耳っている。民主化を言いながら、共同体もなければ、自治もなく、ただただ国際金融資本の許す生き方に従って、一生を生物的に不自然な方法で生きるしかない私たちがいるのである。

 

人が言葉を持ち、富を蓄えることのできる技術力を持ったとたんに、国際金融資本のように、人々を働かせて富を収奪しようとする存在が登場する。それは、生命の利己性を考えれば、当然のことである。

 

明るい明日のために発明に精出すひとも、正義を実現しようと裁判官やジャーナリストになる人も、金持ちになろうとビジネスにいそしむひとも、結局は国際金融資本を利することになり、統制を強める支援をすることになる。

 

 

人類学が明らかにしてみせるのは、利己的な私たちが平等性の高い社会を作ることができるのは、遊動しながら暮らし、保存する術をもたなかった頃だけであることを教えてくれている。

 

定住と貯蔵は平等性を失わせる。農耕などもってのほかである。

 

さて、私たちはどう生きるべきなのだろうか。