大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか 単行本(ソフトカバー) – 2019/4/1 しばやん (著) 文芸社

キリスト教の負の歴史をほとんど封印している現代社会。秀吉の朝鮮出兵も、島原の乱も、鎖国も、綿密に調べることで、通説が何を隠そうとしているのかがはっきりとしてくる。

※ネタバレ注意! 以下の文には結末や犯人など重要な内容が含まれている場合があります。

大人気ブログ「しばやんの日々」の読者が待望していた初の書籍化がこの一冊です。

日本は鉄砲を発明しませんでしたが、日本を侵略しようとする西洋人たちが到来するまでには、すでに自ら鉄砲を制作できるようになっており、改良も加えていました。しかも、大名たちの所有していた鉄砲の数は、すでにヨーロッパ全土の鉄砲の数を凌駕していました。

当時の日本人は政治力でも優れていました。容易に折れることをせず、スペインやオランダといった強国を相手に一歩もひけをとることなく渡り合っていました。

そうした日本を直接侵略することが難しいと知ったキリスト教国側は、まずキリスト教を広め、信者が広まったところで政権を奪うことを企図しました。しかし、寺への放火、日本人奴隷の売買、宣教師たちへの土地の寄進から長崎での実質的な政権奪取といった動きを受けて、日本でのキリスト教の布教は禁じられていきました。

一方、キリスト教国側は、精神・文化の面で日本に大きな影響力を持つ中国を征服し、キリスト教国に変えることによる日本のキリスト教国化を狙ってもいました。中国の制服には、切支丹大名らから集めた兵力を使うことが想定されていました。そのような動きを受けて機先を制しようとしたのが豊臣秀吉でした。

ただし、キリスト教国側も一枚岩ではなく、カトリックとプロテスタントの対立がありました。

多くの資料に基づいて綿密に検討された本書の記述から、このような歴史が見えてきます。

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しばやんさんは、十年ほど前にブログを書き始め、日本史に関する記事への要望が多かったことから日本史に特化していくことになったそうです。しかも、調べていくうちに疑問が次々とわいてきたのでした。

この本では、鉄砲伝来からのおよそ100年間に絞って、学生時代から抱えていた、なぜ我が国が西洋の植民地にならなかったのか、なぜ鎖国という選択をしたのか、なぜキリスト教を激しく弾圧したのかという問題に向き合っています。

多くの資料を調べることで、通説とはまったく違う歴史が見えてきたのでした。

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本書の「あとがき」は、本書全体の優れた要約にもなっているので、時間のない方はまず「あとがき」を読むことをお勧めします。ここでは、中でも重要な個所を引用しておきます。
戦後におけるわが国においては、戦勝国にとって都合の悪い史実が封印され、日本だけ が悪い国であったとする歴史観が広められ、特に「大航海時代」と呼ばれる時代に関しては、キリスト教勢力に対して過度に忖度した歴史叙述が幅を利かせるようになっていると思われる。

一神教であるキリスト教を奉じる西洋諸国が、十五世紀以降ローマ教皇の教書を根拠に して武力を背景に異教徒の国々を侵略し、異教徒を奴隸として売り払い、さらにその文化 をも破壊してきた歴史を抜きにして、戦国時代から江戸時代にかけてのわが国の宗教政策 や外交政策は語れないと思うのだが、戦後に入ってからはキリスト教の負の歴史はほとんど封印されてしまっている現状にある。このことは先の大戦の戦勝国の多くがキリスト教国であることと無関係ではないのであろう。
この文脈から、第6章に記された文章について考えてみたいと思います。
「鎖国」から「開国」につながる流れにおいて、江戸幕府を一方的に悪者にする歴史叙述は、欧米列強にとっても薩長にとっても都合のよい歴史である。戦後の長きにわたり、わが国の学界やマスコミや教育界は、この視点に立った歴史叙述を無批判に受け入れ、拡散してきたと言えないだろうか。
事実は不明であったのではなく、事実はわかっていたにも関わらず、都合に合わせて別の事実を作り上げてこれを通説として広める。学校で教え込み、マスコミで広めあるいは隠し、学会で権威付けしていく。そうすれば、しばやんさんのように自分で調べて考える人以外は、根拠に欠ける価値観(キリスト教の愛、西洋の優越性、経済発展の重要性など)を無批判に受け入れていくことになります。

その結果、大航海時代にはまだ存在していたキリスト教国の侵略の意図を見抜いたリーダーは、今の時代には頭角を現すことができなくなったか不在になりました。戦前は多くの人が読んでいた国際金融家に関する本を、戦後の人は読まなくなりました。そうして、外国人観光客の誘致やら、カジノ特区やらが推進されていくことになっています。

この本は、単に過去の歴史を見なおす本ではなく、現代社会で本当に起きていることを知るためのきっかけになりえる本であるといえます。

内容の紹介(「あとがき」の続きの部分)

この時代にわが国が西洋の植民地にならなかった理由について、鎖国によって国を閉ざしたからだという議論があるのだが、鎖国することを宣言したところで、どの国も攻めてこないという保証はどこにもない。この時代に多くの東南アジアの国々が西洋諸国の植民地になったのだが、たとえ海禁政策をとっていた国であっても、一方的に西洋諸国に武力で国を奪われたのである。

いつの時代もどこの国でも、侵略する意思のある国から国を守るには、相手が戦うこと を断念せざるを得ない状況を作ることが必要である。この時代に、多くの寺社が破壊され、多くの日本人が奴隸として世界に売られていったのだが、それでもわが国が西洋の植民地 とならなかったのは、当時のわが国の武士が勇敢で、西洋よりも優秀な武器を大量に保有していたことが重要なポィントであることは言うまでもない。しかし、さらに重要なのは、スペィンやポルトガルにわが国を侵略する意思があり、宣教師がその先兵の役割を担って いることを早くから察知していた為政者がわが国にいたことである。また、キリスト教が伝来する六年も前にわが国に鉄砲が伝来したという点も見過ごせない。わが国は鉄砲伝来 からわずか一年でその製造に成功し、その後近畿を中心に大量生産体制を早期に整え、多くの大名がすでに大量の鉄砲を保有していたことは宣教師たちにとって想定外であったに違いない。

宣教師たちは、武力で日本を征服することの困難さを認識し、まずはキリスト教の布教 を強化しキリシ夕ン大名を支援することで日本固の分断化をはかる。その上でキリシタン大名の助力を得てシナと朝鮮半島を征服し、機が熟すのを待って、朝鮮半島から最短 距離で日本を攻撃し、キリシタン大名を味方につけてわが国を二分して戦おうと考えてい たことが、彼等の記録から推測できる。

しかしながら、恐らく秀吉はその魂胆を見抜いていて、天正一九年(一五九一年)フィリピン、マカオに降伏勧告状を突き付けてスペイン・ポルトガルを恫喝し、その翌年には朝鮮に出兵(文禄の役)しているのだ。

秀吉の朝鮮出兵については、晩年の秀吉の征服欲が嵩じて、無意味な戦いをしたという ニュアンスで解説されることが多いのだが、当時の記録を読めば秀吉は、スペイン・ポル トガルに先んじてシナを攻めることにより、両国がわが国を侵略する芽を摘もうとしたと考えるほうが妥当であろう。

別の著者の著作になりますが、『織田信長 最後の茶会~「本能寺の変」前日に何が起きたか~』でも、著者は、「従来の研究・叙述のほとんどが、視野を日本国内に限定していることに対して長いこと違和感を懐き続けてきた」としています。そうした限定が起きる背景には、ここに指摘されているような、キリスト教国に配慮した叙述以外は受け入れられないという力が働いていると思われます。

私は、キリスト教徒たちが悪く私たちは良いというつもりは毛頭ありません。むしろ、すべての生命はおなじように自分に有利になるように動くものだという大前提に立って、そうした利己的な生命どおしが共存していくにはどうすればよいのかを探る以外に、人類の未来はないと考えています。

まずは、正しい現状認識が必要なのです。