郷土文化 通巻173号(赤穂義士不破数右衛門/鳴海宿窮乏/伊勢湾台風の教訓/芋川うどん発祥の地など)

2019年4月20日

郷土文化 通巻173号
郷土文化 通巻173号

目次

赤穂義士不破数右衛門と名古屋………………….中山文夫(1)
一史料にみる鳴海宿窮乏の状況………………….鬼頭勝之(11)
近世名古星の町方における相続
―家屋取引を中心として……………………早川秋子(16)
初期の清洲郵便局について……………………..半田 実(53)
伊勢湾台風の教訓…………………………….水谷盛光(62)
芋川うどん発祥の地について……………………村瀬正章(66)
《会員著書紹介〉
秦達之『まなびや横丁こぼれ話』………………..水谷盛光(71)
平成7年度理事会報告………………………….事務局(80)

平成7年発行 80ページ

内容について

「赤穂義士不破数右衛門と名古屋」では、赤穂義士の事跡を調べて『義士伝集成』(現存せず)を著した中山大作清寛(明和二年~文政十二年)の残した「見聞目録」から、不破数右衛門(後嗣が犬山城番として名古屋に住み、円頓寺が菩提寺)が取り上げてあります。

「一史料にみる鳴海宿窮乏の状況」では、近世宿駅の窮乏の要因を探るなかで、宝暦四年(1754)以降のものと思われる「申十一月」の日付の入った鳴海宿再建策の提案書全文と要約を示し、「石高制そのものが商品経済の発展と矛盾し、その矛盾の現象形態の一つが宿経済の破綻となっていると見るべき」としてあります。

「伊勢湾台風の教訓」では、阪神淡路大震災の発生を受けて、伊勢湾台風当時の名古屋市職員であった著者により、便所の設置を最優先したことや、仮設住宅の需要と供給の齟齬、仮設住宅への不法入居・また貸しの問題などが記されています。昭和13年の阪神大水害に複数回触れてあります。

「芋川うどん発祥の地について」では、『東海道中膝栗毛』と『好色一代男』を引きながら、一ツ木村の芋川から今岡村に移り住んだ人々が「いも川」を屋号とする店で売り出したうどんであり、東に伝わるうちに「ひもかわ」となって「きしめん」の元になったと推測されています。