『シンポジウム 弥生文化と日本語』単行本 1990年 大野晋、小沢重男、佐々木高明、大林太良、佐原 眞(出席)、カミュ・ズヴェレビル(寄稿) 角川書店

日本語は遥か南の海のかなたから弥生文化とともに運ばれてきたとする、日本語タミル語同系論を検証する

1989年に開催された、言語学者大野晋氏の主張する南インドのドラヴィダ系言語であるタミル語と日本語が同系であるとする主張を巡るシンポジウムを書籍化したものです。

出席者は、モンゴル語学者である小沢重男氏、民族学者である佐々木高明、大林太良両氏、考古学者であり、大野氏の説に多くの疑問を投げかける佐原眞氏で、佐原氏が司会を務めています。出席に至らなかったドラヴィダ語学者カミュ・ズヴェレビル氏からの特別寄稿も収録され、会場でも要旨が紹介されています。

言語学の立場からすると、日本語とタミル語の一部の単語や、助詞の使われ方には、偶然以上の類似性が見られます。単語の類似性については、時代背景から考えて除外していく必要のある単語も含まれていますが、一貫した音韻変化として認められるものが多くなっています。一方で、考古学や民族学の立場から見ると、大野氏の主張には、偶然の一致や、より普遍的な要素であるなどの問題点があり、特に、弥生文化が照葉樹林文化と結び付いた稲作文化であるのに対し、インドでは早くから牛を使い、乳製品や砂糖を利用する点でひとまとめに稲作文化であるとは言えないという指摘もなされています。

王権についての検証もなされており、弥生時代の卑弥呼の王権は東南アジアからポリネシアにかけての神聖王権または神聖酋長制と似ていると指摘されています。一方で、その後の日本の天孫降臨王権は、内陸アジアのモンゴルやテュルク系統の遊牧民と共通しており、日本語と朝鮮語の単語には、支配に関わる語での類似が多くみられます。

本書の内容から私が興味を持つ部分を大まかに抜き出すと、北方系の体質を持ちながら南方系の稲作照葉樹林文化を担う弥生人が日本語を日本列島に持ち込み、東南アジア・ポリネシア系の制度によって社会を作っていた。そこに、遊牧民系の要素が加わって日本国が誕生したという形で整理できそうです。

このあたりの流れについて私がよく参考にさせてもらっているのが、DNAから導きだされる日本人の起源 (pdf) です。この仮説では、中国南部の稲作民である倭人がインドに移動していったのではないかとされています。日本語とタミル語の共通点を、そのような視点から検討しなおしてみる価値はありそうです。なお、邪馬台国の王権や、因幡の白兎伝説、オノマトペなどにみられる南洋系要素が加わった時期は大野氏の説にも、この説にも、含まれていないため、別途検討する必要がありそうです。

私としては、アイヌ・琉球系の縄文人に、日本語を話す稲作照葉樹林文化の倭人が加わり、さらに支配層として遊牧・騎馬系の要素を持つ民族が入り込んだのが日本なのではないだろうかと考えています。このうち最後の勢力については、明確化することによって現在の体制にまで影響が及ぶことから、あえて隠ぺいされているのではないかと憶測しています。

この本は、見方を補強してくれる内容の多く含まれた、私にとって面白い本でした。