ヤポネシアとも、唐天竺の影響とも違う文脈を持つ日本の歴史
こんにちは、本日もおつきあいいただきありがとうございます。
私が、戦前の絵葉書を扱ったり、日本語や日本文化の成立という視点から日本の歴史を探ったりする中で、感じたことがあったので、簡単ですが、記してみたいと思います。
西洋文明の影響力が高まる以前、日本にとって外国といえば、唐天竺という言葉に象徴されるように、アジア、とくにそのアジアの大国である中国とインドでした。
日本の歴史も多くは、その文脈で語られてきました。
一方、ヤポネシアという言葉を使って、もっとモンスーンの影響を受ける、海洋国家としての日本を強調してはどうかという提案も行われました。インドネシア、ポリネシア、メラネシアという太平洋の島々との共通性を意識した造語です。
また、生活文化の点から、中国の中でも四川省あたりの焼畑少数民族とのつながりに着目する人もあります。コンニャク、納豆、餅といった食品や、虫送りのしきたりなどです。
私もこれまで、こうした文脈の中で日本の歴史を考えてきましたが、最近、これらとは別の枠組みがあることに気付きました。それは、言葉に共通の特徴を持つアルタイ諸語の分布する地域の広がりです。
共通の祖語を想定できないことから、アルタイ語族という呼び方はできないという結論が概ね出たようですが、アルタイ語の特徴を持つ言語自体は存在しています。トルコから、中央アジアのトルキスタン、ウイグル、モンゴル、大陸東端の東シベリア、満州、朝鮮半島、日本まで広がっています。
アルタイ語の特徴とは以下の四つです・
・母音調和を行う
・膠着語である
・原則としてSOV型(主語 – 目的語 – 述語)の語順をとる[7]・語頭にR音が立つことを嫌い、固有語にR音で始まる語をほとんど持たない
余談ですが、令和(レイワ)は語頭にRが立っているのでアルタイ語系ではないですね。
アルタイ諸語として広く認められている言語グループは以下のとおりです。
チュルク語族(アルタイ語、トルコ語、ウズベク語、カザフ語、キルギス語、トゥバ語など)
モンゴル語族(モンゴル語、オイラート語、ブリヤート語など)
ツングース語族(エヴェンキ語、満州語など)
日本語族(日本語、琉球語)と扶余語族(扶余語、濊貊語、高句麗語、百済語)および朝鮮語族(新羅語、朝鮮語、済州語)は、アルタイ諸語に含められることもあるという位置づけです。アイヌ語は、SOV型であるという共通点があります。
モンゴル出身の力士が欧州出身の力士と比べて日本語を早く覚える背景としては、日本語がアルタイ系の特徴を持っているからのようです。また、中東のサッカー中継のアナウンスに面白おかしくでたらめの日本語字幕を付けた動画がありますが、こんなことができるのも、特徴が似ているためのようです。
さて、アジア大陸の中緯度地方を横切る、こうした広がりを持つ、アルタイ諸語に含まれる言語の生まれた背景は解明されておらず、共通の祖語を想定するには基本語彙に違いが大きすぎるようです。人種的特徴も一様ではありません。一説によれば、騎馬民族の移動が関係しているといいます。
実は、こうした特徴を持つ言語は、SVO型の言語に対して劣勢となっています。一例が満州語です。かつて、清の時代には、漢人の移住を制限していた中国東北部地域に漢人が入り込み、満州語を話す人は激減しています。ウイグル人も同じように圧力を受けています。モンゴルもその半分は内モンゴルとして中国の領土になっています。
トルコ、モンゴル、清という大帝国を生み出したアルタイ系民族でしたが、現在は、その勢いを衰えさせているようです。
人類の移動の歴史を考えると、アルタイ諸語の中でもアジア大陸東部に位置する諸語については、「DNAから導きだされる日本人の起源」の23ページにある、2万年前ほどに、シベリア南部に生き残った人々の子孫であるのかもしれません。
3万~2万年前 厳寒期
シベリア大陸では、食料確保と防寒対策ができたグループ はシベリア各地へと広がり、生活圏を拡大した。
– 2万年前、氷河期の寒気が一段と厳しさを増し、各地に広がっていた新人達は、寒さと飢えで絶滅していった。その中で、バイカル湖周辺は比較的温かく、食料となる大型哺乳類-マンモスなどが多く生存したため、その周辺地域に集まってきた人達だけが、生き延びることができた。 併し、その代償として、極寒の気候へ対応するための変化が身体におこった。この変化は世代を重ねる毎に顕著になり、長い胴、短い手足、平坦な顔つき(呼吸器への寒気の直入を避ける)になった。北方型モンゴロイドが誕生。
こうした背景から日本の歴史を考えると、これまでとは違う視点が加わることになります。
1. 遊牧民・騎馬民族的要素と日本民族の親和性
日本語を話すようになった人たちは南下して稲作を中心とする民族になったようですが、それ以外のアルタイ語族の人々は放牧を中心とする暮らしになったようです。しかも、その中から生まれた支配者たちが、3世紀頃に朝鮮半島を南下して、日本の中枢にも入り込んできたようです(『九州の邪馬台国VS纏向の騎馬民族』)。
日本人の、特に支配層における、牧畜民的要素に着目することで新しい歴史が見えてくるかもしれません。 神道の起源は、雲南省の少数民族からではなく、アルタイ語族の支配者層によって持ち込まれたものである可能性がありそうです。
2. 満州、モンゴル、シベリア、中央アジア、トルコ、 タミル、SOV型言語群への親近感
アルタイ諸語の分布域という関係に気付く前の私は、朝鮮半島の北からシベリア、モンゴル、バイカル湖あたりの地理についてほとんど興味を持ちませんでした。これを知った後で地図を見ると、満州はモンゴルと接しており、満州の範囲も、アムール川の東まで広がっていて、日本から日本海を挟んだ対岸は、アルタイ諸語の広がる場所であったという事実に気付くことになりました。
現代の日本人はアメリカに対する親近感が高く(内閣府による2018年12月の、外交に関する世論調査の発表を参照)、社会や個人のさまざまな側面にこの親近感が影響を与えていると思われます。
ここに、アルタイ語族あるいは、さらに広げて、言語の構造がSOVである言語を持つ民族という視点を加えてみると、世界観に少し変化が生じると思います。
「DNAから導きだされる日本人の起源」には、結語として次のようにあります。
日本人は南方から来た初期型モンゴロイドが、黄海沿いに南下し、最初に住み着いたアイヌ人=縄文人が一つのグループ。
同じく黄海沿いに下り、日本の近くを通り抜け、シベリア大陸に入り、バイカル湖畔で、耐寒のため体型を変えた北方系モンゴロイドが、暖化後に南下し、長江中流で水田稲作を開始、長江文明を担い、戦乱の続く中、民族滅亡の危機に直面し、秦の始皇 帝の助力を得て、民族大移動を行った徐福一行のグループが、もう一つの日本人の起源。その二つのグループが、約2300年の間に、混血し、現在の日本人となった。
日本語は、アイヌ・縄文人の単語を残しつつ、渡来してきたグループの言語の進化・変遷したもの。 言葉は民族と人の根源で あるが、1000年の単位では極めて大きく変るため、大きな概念で辿る必要がある。南インドのタミル語は、日本とインドに分岐す
る以前に使っていたであろう品物(稲作・衣食住)、身体の名称などで同じ単語が用いられ、五七五の韻を踏む歌などが一致し、且つ、民俗学的風習などが一致し、同一又は極めて近い民族と言語が、日本以外にいたことは、なんとも云えぬ安堵を感じる
この想定のどこまでが真実であるのかはわかりません。けれど、何度かに分けてこの列島にやってきた人々は、アジア大陸東部に広く分布するSOV型の言語を話す人々が主体であったことは確かなようです。古墳時代の直前頃から奈良時代にかけてやってきた渡来人についても、『九州の邪馬台国VS纏向の騎馬民族』の想定が正しければ、扶余系を中心とするアルタイ語系の人々が主であるということになります。
アルタイ語族の作った中国国家(元、清)と日本は戦っています。こうしたことも何かの因縁なのでしょうか。
いずれにせよ、意識しておきたい関係性なのではないかと現時点の私は考えています。
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