「縄文語の発見」1998/5 小泉 保 (著)279ページ 出版社: 青土社

弥生語が縄文語を駆逐したと決めてかかるのではなく、方言分布、アクセントの発生、特殊仮名遣いの成立、連濁現象、四つ仮名もの問題など言語学的に分析して、日本語の基底としての縄文語の復元を試みる

 
縄文人はどのような言葉を話していたのか。邪馬台国ではどのような言葉が使われていたのか。日本語はどこでどのようにできたのか。このような問題について、多くの説が提唱されていますが、まだ、決め手となる説は登場していません。

本書は、現在の方言の分布や、アクセントの分布、ジとヂ・ヅとズの使い分けの分布など言語学的な要素を中心に、人類学および考古学の知見も踏まえながら、縄文語こそが現在の日本語の基底になっているという説を展開しています。

著者は、弥生時代の始まりを紀元前3世紀頃と想定して、縄文晩期の縄文人の人口が極端に減っていたとしても、九州北部に上陸した渡来人の言語がわずか数百年のあいだに、津軽から八重山群島の先まで波及して、先住の縄文人の言語に入れ替わったという憶測は信じがたい(124ページ)といいます。そのうえで、現在も各地に残る方言を比較することによって、日本列島の広い範囲で使われていた縄文語の復元が試みられています。

沖縄の言葉を分析すると上代特殊仮名遣いが残されています。出雲地方の方言が東北地方の方言と似ているのは、想定される裏日本縄文語が東日本から山口県までの日本海側に広がっていたからであり、九州と四国南岸には九州縄文語が広がっていたであろうことが、言語学的な分析から想定されています。

関西弁の独特なアクセントが誕生した背景には、渡来人たちが縄文語とは違う言語の癖をのこしながら縄文語を習得していったためではないかといいます。

この本に描かれた世界は、異民族同士の平和な融合の様子をうかがわせロマンを感じさせます。そんな楽しい空想に浸りながら、著者が主張するように縄文語が現在の日本語の基底となっていなければおかしいのではないかという印象を得て私は本書を読み終えました。



しかし、その後、ネット上のさまざまな情報を収集してみたところ、どうやら、本書で著者が主張している論拠には、反論の余地があるようです。

・弥生人は早ければ紀元前1000年頃から渡来していた可能性がある
・沖縄の宮古島には縄文系の人々は住んでいないが、言語は琉球語の方言であり、したがって、弥生人の本来の言葉が日本語の基底である可能性が高い
・アイヌは異なる系統の言語を使っていたため土器が普及しなかったと本書にあるが実際には土器を使っていた


縄文人の遺伝子は日本列島全体に比較的大きい割合で残っているので、異なる系統の言語を持つ2つの集団が融合した歴史はあったでしょう。しかし、20世紀の地球で、実際に、狩猟採集民が農耕民と接触し始めた地域で起きていることを前提とすると、狩猟採集民の言葉は消えていく運命にあります。かつての縄文人と弥生人の出会いにおいても、主流になったのは、狩猟採集的要素の強かった縄文人ではなく、水田耕作を行い、人口密度の高さや、人口の急激な増加が可能であった弥生人のほうであったと見るのがやはり自然なようです。