実践 日々のアナキズム――世界に抗う土着の秩序の作り方 単行本 – 2017/9/29 ジェームズ・C.スコット (著), 清水 展 (翻訳), 日下 渉 (翻訳), 中溝 和弥 (翻訳) 岩波書店

私はこの本を、世界システムが構築・展開される中で破壊されていった土着の生き方を集めた本として読みたい

ゾミア』と同じく政治学者兼人類学者であるスコット氏の著作。訳者は文化人類学者の清水氏を中心に、同じく政治と人類学に関心領域を持つ3名から成っている。スコット氏は羊を育てる農民でもあるらしい。「訳者あとがき・解題」がすぐれた書評にもなっているため、本書に興味を持たれたかたは、この部分を読まれることをお勧めしたい。本書のアナキズムは無政府主義とは違い土着的な生き方に根差している点にも注目したい。

この本は、すべての節が「断章x」として示されており、本書が丹念に導きだされたアナキズムの議論を述べた完成品ではなく、アナキスト思想家が、国家、革命、平等について言わねばならなかったことを裏付けるであろう一連の洞察を示した断片であることを示している。私たちは国家(リヴァイアサン)から逃れることはできず、問題は国家を飼いならすことだが、それさえ私たちの手には負えないかもしれないとの言葉が、序に示されている。

サンゴの一つ一つは微細なものにすぎないが、集まることによって防波堤ができるように、何千もの不服従の行為や義務の回避が重なることで、経済的あるいは政治的な防波堤ができあがるのだという可能性が本書の根幹にあるようだ。

本書から知ることは多い。近代国家の誕生は土着なるものを消滅させてきた。人は整然とした計画都市を嫌い、自由に建設することの許された建設現場のような遊び場を好む。私たちは人生のほとんどを学校、会社、軍隊などの制度の中で過ごし、かつての農民や小商店主とは違ってほとんど完全に従属の中にいる。赤信号をなくした道路で人は整然と事故なく車を運転する。フランスの家の窓を少なくしたのは、窓と戸の数によって課税する制度であった。多くの革命はより一層の制限を大衆に加えることになった。ほとんどの革命は、即興的で自然発生的な行為の凝集であった。

こうした、洞察は有用ではあるものの、人が言語能力を得て、累積的な技術を実現し、農耕を開始したことで世界を大きく変えてくる中で、本書にあるような土着のありかたが消滅するしかなかった理由の分析はまだまだ足りていないように私には思える。生命とは何か、言語が何をもたらしたのかという根源まで問うことでしか見えて来ないと私は考える。スコット氏は、プチブルジョアに希望を見ているが、私は狩猟採集者の在り方に希望を見ている点に大きな違いがある。

内容の紹介

アナキスト不俱戴天の敵

過去二〇〇年間にわたって、土着の実践が、きわめて深刻に進む種の絶滅と同じくらい大量に消滅させられてきたというのは決して誇張ではない。そして土着の実践を消滅させた原因も、種の絶滅と同様に、それが根ざして息づく場所の喪失である。多くの土着の実践が失われたし、残ったものたちも危機に晒されている。

土着の実践を絶滅されるうえで、とりわけ最も重要な働きをしてきたのは、近代の国民国家に他ならない。国家はアナキストにとって不倶戴天の敵なのである。(後略)(63ページ)

国民国家は幻想であって、世界システムの中で支配の効率化のために作られたものであるとみなせば、国家が不倶戴天なのではなく、世界システムを作り上げようとする金融家たちが敵となります。

最後にもうひとつ言っておく必要がある。小規模自作農と小店主が幅をきかせている社会は、今までに考案された他のいかなる経済システムよりも、平等性と生産手段の大衆所有制にいちばん近づいているのだ。(121ページ)

逝きし世の面影』に描かれた江戸時代の日本を見ると、櫛や下駄など、極めて細分化された商品を手作りして売る手工業者や、満ち足りた農民たち、口では恭順を装いながらなかなか動こうとせず外国人たちをイライラさせた役人たちなど、この本に描かれた理想に近い社会ができあがっていたと感じます。しかし、そうした社会は、国際金融家たちが裏で動かす西洋文明によって滅ぼされました。このような歴史を見るとき、本書の歴史認識には、国際金融家たちの活動に対する視点がまったく抜けているといえます。また、江戸から明治への動きの中で、権利や人道といった価値観を表に出しながら、社会から土着の実践が絶滅されていったという点もまったく顧みられていないことに、この本の限界を見ます。