草書を教えないのはなぜか

魏志倭人伝の原典は、漢字の進化の歴史から考えて草書体で書かれていたはずであり、そのように想定することで、翻刻の際の誤りを正して、正確に読み解くことができると主張されている方があります。


草書体で解く邪馬台国の謎 (井上悦文 久留米地名研究会)

上の動画は、実際の音声と映像が一致していないため理解しずらい部分がありますが、草書体で書かれたいたと想定する根拠や、それによって薩摩や博多の地名を読み取ることもできれば、邪馬台国の存在していたであろう場所も特定できることが説明されているので、視聴をお勧めします。

さて、草書体というと、少なくとも私は学校で一度も教わったことがありません。けれど、上の動画で説明されているように、草書体の利点として、筆記時間が楷書体とくらべて圧倒的に早い点があります。英語の授業では筆記体を教わりましたが、筆記体にも筆記時間の短縮という面があり、草書体は、アルファベットでいえば筆記体に相当するものであるといえそうです。

学校で草書体を教えれば、ノートを取る時間は短縮され、筆順を正しく覚える動機になり、古文書を読むためにも役立つでしょう。それなのに、今、学校で草書体を教えることはありません。なぜなのでしょう。

草書体は、あいまいさが残り、読み取るにも時間がかかるからでしょうか。

私はそれだけが理由ではないと思います。

先に挙げた草書体の利点を活かされては都合が悪い人々が、現代文明を作り上げているからではないでしょうか。古文書を読まれて、真実が広まっては困る。日本人の学力が高まってもらっては困る。漢字文化が繁栄してもらっては困る。そういう理由があるのではないでしょうか。

話は変わりますが、音楽の授業でも、リコーダーやハーモニカ、カスタネットは教わっても、和太鼓や、篠笛や、琴は教わりません。なぜなのでしょう。

フォルクローレの代表作とされるコンドルは飛んで行くが、民族音楽ではなく、西洋の影響を受けて作られた音楽であると知ったのも最近のことでした。

結局のところ、世界は、西洋文明を頂点とする構図を作る意図によって統制されていると見るべきなのではないでしょうか、