「カムイ伝講義」田中 優子(著)(小学館 2008年10月)

江戸時代初めの架空の村を舞台に忍、非人、穢多、農民、下級武士、漁民、マタギ、サンカらの生活を描く『カムイ伝』を題材に江戸と今を見る。

→目次など

 

『カムイ伝』は、プロレタリア画家を父に持ち1932年生まれの白土三平氏による、現時点で2部構成、想定としては3部構成の長編漫画です。『外伝』も別にあります。江戸時代初期を時代設定とし、非人や忍という歴史の表舞台には登場しにくい人々について描かれています。私は『カムイ伝』を読破していませんが、江戸の実情を知るためによい本かもしれないと考え、『カムイ伝』を題材とした講義から生まれたこの本を読んでみました。

『カムイ伝』には、非人と穢多を敢えて混同して描かれているという問題があるようです。また、当初の想定は東北地方の村である一方で、途中からは今の大阪府南部あたりの村が想定されていて、地名や登場する人びとが実際とは合わないようです。

「カムイ伝の向こうに広がる江戸時代から「いま」を読む」

こう記されているように、この本は、カムイ伝を題材に、実在する資料から江戸時代の人びと、特に社会の底辺や周辺に目を向けることで、江戸の実態を探り、さらに現代社会と関連付けて解釈する内容となっています。

江戸時代といえば否定的なイメージを持ちがちです。中学校社会 歴史/江戸時代を見ると、枝番付きで解説されている項目は、「江戸幕府」「鎖国」「身分制度」「産業」「天明のききん」「江戸時代の文化」となっており、今の世でいえば独裁国家を思わせます。

一方、本書を読むと印象はまったく違っています。例えば、農民ついて次のように記述されています。

江戸時代の農民は、抑圧されるばかりで細々と貧しく生きていた、というわけではない。『カムイ伝』はそれを教えてくれる。農民はあらゆる職人的能力を身につけ、賢く、論理的で、強靭で、柔軟性に富み、何より、人と関わりながら目的を果たしてゆくことに長けている。一揆はもちろんのことだが、江戸時代の歴史を見ていて驚くのは、その産業に示した農民の能力である。(69ページ)

 

寄合(よりあい)と呼ばれる村の議会は、全員一致の結論に達するまで何日でも話し合ったことが、歴史や民俗学の資料でわかっている。多数決という方法は村にとっては、どうしても全員一致の意見に達することのできないときに取られた「いたしかたない方法」であって、決してほめられる事態ではないのである。(70ページ)

都市生活者である武士たちよりも、農山漁村に暮らす者たちのほうが、柔軟性や強靭さを備えている(狩猟採集者たちはさらに優れている)という図式があるのではないでしょうか。また、多数決という方法があくまでも、一方的な押しつけでしかないという本質がここに見えます。

本書には、明治以降の価値観や制度を否定する記述が多数登場します。

(現代社会では)基準が一つしかないので、落ちこぼれるとその人生は失敗と見なされる傾向がある。それに比較した場合、江戸時代は、機会の平等は保証されていないが、気が遠くなるほど多様な小社会が存在していて、一つの社会での失敗は完全な失敗とは言えない、という側面があった。(60ページ)

 

一五四九年にザビエルが王直の倭寇船で日本に渡ってきたのも、盛んに銀山開発をしている日本の富を知っての上だった。この後、イエズス会はキリシタン大名を作り出すことによってその領地をイエズス会へ寄進させる。まさに富のまわりには神さえも集まるのだった。日本のキリシタン弾圧は、そこまで読みこまなければならない。(232ページ)

 

当時の医療に関する文献を読んでいくと、地方によってその医者の数にもばらつきがあることがわかる。しかし現代のように無医村ということはほとんどなく、たいていどこにも医者の役割を果たし得る人物が存在していた。彼らの用いた医療は、民間療法として現代にいくつか残っている。 いまは、資格が必要とされるために、以前とまた違った問題が生まれてしまったように思われる。このことは医者に限らず、どの分野に関しても当てはまることだろう。医療に関して言えば、何よりもまず、安易に他人へ治療が施せなくなった。その分野に関することは、資格を持つ人でなければやってはならないとされるのが、現代の日本社会である。しかし、この制度は人々の考えにも大きく作用している。それは、とかく何であれ制度に依存しなければ生きられない体質を生んでしまうということだ。つまり、自分の生活までもが社会のシステムに組み込まれ、それは貨幣を支払うことで維持される、ということである。これが小さなコミュニティの中ならまだいいが、国家レベルとなると、微妙な差異が切り捨てられてしまう。(280、281ページ)

 

「武士道」は明治以降、日本人にも世界にも知られるようになった。武士道が日本人の倫理観を高めていたという、新渡戸稲造の主張は、外国人向けの日本人のイメージ刷新に役立つことはあっても、実態は違う。『カムイ伝』も武士道を礼賛などしていない。(322ページ)

これらの記述は、現代社会のあり方には「良い面もあれば悪い面」もあるという性質のものではなく、現代社会の本質が国際資本家たちによる(植民地)支配であるという事実を暴いた記述であると私は解釈しています。私にとっては思想的に近いところが多く、読みやすい本でした。

関連書評:
逝きし世の面影』江戸時代を知る
世界システム論講義』現代社会の枠組み

内容の紹介

穢多は皮革業に縛りつけられいたから、それをおこなったのではなく、皮革が必要とされたから、縛りつけられたのである。 – 45ページ

 

農民が生活やコミュニティや、その仕事の水準を守るために戦うことを「一揆」と言う。 一揆は、飢饉などのときにやむを得ず起こすこともむろんあるが、多くは権利の主張であり、不公正な実態を訴えることであり、誇りの維持であり、何よりも共同体を一定の水準に維持するための、それを侵犯する者に対する抗議であった。 – 144ページ

 

一揆は江戸時代に入ると、「一味同心」の意味を保ちつつ「百姓一揆」として定着し、日常化した。 『百姓一揆総合年表』によると、一五九〇~一八七七年までの一揆件数は三七一〇件とされている。 一年平均一三回、月一回はどこかで起こっていたことになる。 – 149ページ

 

江戸時代には、藩は幕府による、数々の伐採禁止令が出された。 このことは『カムイ伝』には書かれていない。 伐採禁止令は、「停止木」のように種類を特定する場合や、「留山」のように山を特定する場合のほか、川の流域の新田開発を禁止し、新たに苗を植えることを奨励した。 – 204ページ

農耕によって膨れ上がった人口を養うためには、国土を人の管理下に置かざるを得ない。それは、「有効利用」という名の開発につながり、森が維持されているように見えながら、実際には生物多様性の低下した土地が広がることを意味する。こうして、ニホンオオカミはいなくなっていった。私には、このような物語が見えました。

 

マタギの狩りの範囲は驚くほど広い。とはいっても、加賀、信州までであって、関東や中部、ましてや関西に広がることはない。 一方、後に述べるサンカは九州、関西、関東を中心に移動する。 サンカとマタギは職種が異なるにもかかわらず、なぜかきれいに住み分けしており、地域が重ならないのである。 – 214ページ

 

サンカは日本の山間部を生活の基盤とした漂泊する少数集団である。 散家、山稼、山窩、山家などと書かれたが、民間ではポン、ノアイ、オゲ、ヤマモンなどと呼び、本人たちは「テンバ(転場者)」「ショケンシ(世間師)」と言っていた。 その種族的系統については、渡来人説や落人説、中世の傀儡の後裔説などがあり、一定していない。 大和朝廷に追われた出雲族の系統だとも言われる。 – 219ページ

 

白土三平はここでサンカという言葉を使っていない。 「山の者」と言わせている。 研究上でも、サンカは明治以降に使われるようになった言葉ではないか、という。
ところで、山で生きるのはマタギやサンカだけではない。 木挽きや杣人、そして鉱山で働く山師や掘子などもいたのである。 – 223ページ

 

日本は銀山開発でアメリカ大陸のスペイン人に敗退した。 江戸時代に入ってからの一六〇九年、平戸オランダ商会が開設された年に、家康はフィリピン総督に、メキシコとの通商と、鉱山技師の招聘を依頼している。 どうやら交渉はうまくいかなかったらしく、次の年には京都の商人をメキシコに派遣した。 スペイン占領下の南米では、世界総産銀の八〇%を生産するようになる。 年間四五万キログラムである。 もはや日本は追いつかない。 – 233ページ

水銀アマルガム法による環境破壊を反省せず、インディオの強制労働によって利益を得、話し合いの余地もない相手、それがスペイン人たち(西洋一神教文明)であったことを思わせます。

江戸時代に東北地方の山々を歩いた菅江真澄は、岩木山の周辺で、「おおひと」「やまのひと」「山の翁」と言われる者の伝説を書き留めている。 それによりと、これらを一目見て病の起こる者もあるが、逆に兄弟のように仲良くなる者もいて、酒や肴を与えると、返礼として大木を根こぎしてくれたり、シナの木の皮をはいで大量に持たせてくれたりする、という。 こういう話を聞くと、伝説は伝説としてある一方で、人々が山出さまざまな人間と実際に出会った可能性もあるはずだ、と思われる。 それは一つには『カムイ伝』にも描かれたサンカの人々であり、また、阿仁や院内の鉱山にヨーロッパ人宣教師たちが掘子としてまぎれ込んだ歴史もあり、菅江真澄が描いたように、江戸時代はアイヌも東北に暮らしていたわけで、山は多様な人々の(時には追われた人々の)暮らしの場であったのだろう。 山の者たちが消えた今日、日本人はますます一様化してきている。 – 236-237ページ

 

殊に先進国と原油生産国のあいだに見られる昨今の関係をつぶさに見ていけば、そこに潜んでいるのは、単なる宗教間の対立構造だけではなく、世界的規模で展開する資本主義経済の矛盾や、不平等があることもわかる。 またそれ以外でも、世界各地で繰り広げられる民族紛争や移民問題、あるいはこうしたテロ行為など一連の動きの背景にみ、複雑に絡み合った利権が横たわっていることが見てとれる。 それは、かつて存在し、いまは縮小傾向にあるとされる帝国主義(植民地政策)のスタンスが、実質的にほぼその形態のまま維持され続けていることとも無関係ではないだろう。 – 287ページ

法や制度が帝国主義の形態を維持するように作られている点を見抜く必要があると思われます。

『カムイ伝』の社会のほとんどを占めるのは、自らの生産を自らの努力で増やすことのできる百姓であった。 自分で生活手段を持っているのだから、怒れば一揆を起こした。 しかし雇われ人であるサラリーマンやフリーターが人口のほとんどを占めるこの社会では、仕事を失うような行動を慎まなければ明日はない。 そもそも、分断されて管理される状態を「自由」と呼んでしまう私たちの社会で、怒りの結束は困難だ。 – 328ページ