「水木サンと妖怪たち: 見えないけれど、そこにいる」水木しげる(著)(筑摩書房 2016年5月)

精霊を信じることを経済発展と同じレベルで考える 

→目次など

妖怪や幽霊、精霊、妖精など、目に見えない存在は、非科学的に思えるかもしれません。しかし、錯覚と同じように客観的には事実ではなくとも本人にとっては確実なものと感じられる「気」や、自己暗示の力、意識変容などについて知っていくと、私たちにとって重要なのは、肉体の外部にある物理環境そのもの以上に、この環境を私たちがどのように受け止め、肉体や認知を変化させていくのかにあることがわかってきます。そうして見ると、確かに妖怪などを信じている社会のほうが、信じていない社会よりも、精神的にも物理的にも豊かなのです。

この本には、水木しげるさんが1990年代に発表したエッセイ、旅行記、対談などから、単行本に未収録だった、「妖怪」や「旅行」に関する厳選した8編と世界各地に水木さんが足を運んで集めたコレクションを紹介した「水木しげる妖怪博物館」が収録されています。以前、『精霊の楽園オーストラリア(アボリジニ)』を読んで充分には知ることができなかった、水木さんの妖怪の世界を知りたいと思い選んだ一冊です。

読み終えてみれば、妖怪や精霊を信じるということは、「物を持たない、物に執着しない」というあり方に繋がり、それが現代社会の人々を苦しめている経済優先の在り方から抜け出して、森やジャングルに囲まれた生き方を選ぶ可能性を開いてくれるのだという道筋を読み取ることができました。

たとえば、宗教に関する記述を拾ってみましょう。

純粋な太古からの精霊信仰。それは、宗教の前段階としてのアニミズムとかそういったものとは違う、本当のあるべき宗教としての”草木虫魚教(アニミズム)”なのだ。(54ページ)

 

今現在、妖怪みたいなものは、大宗教によってどんどん後ろに追いやられて陰の存在になってきていますよね。例えば欧米では、キリスト教が精霊信仰を全部、押しやってしまったんですね。セノイ族では、それがイスラム教なんです。(120ページ、対談者の大泉実生氏の発言)

無駄に争うことを避け、自然を破壊することを避けて生きていた、あるべき宗教を信じていた人々が、これを捨てさせられて、争いや環境破壊の世界に巻き込まれていく姿があります。ちなみにこのセノイ族は、『睡眠文化を学ぶ人のために』に登場した、夜中に見る夢をコントロールする手法を代々伝えている人たちです。

京極夏彦さんとの対談では、世界妖怪協会に関連して次のようなやりとりがあります。

水木 とにかく、われわれは人間と妖怪の共存共栄を目指したいですね。
京極 それが大切ですよ。さっきの話に戻りますが、妖怪の住めない世界は、人間だって住めないんですから。(167ページ)

妖怪が住みやすい世界は、人間にとっても住みやすい世界であり、妖怪の住めない世界は、機械ではなく生物として存在している私たち人間も住めない世界なのでしょう。

水木さんの経験によると、妖怪たちはジャングルや森の多いところに多いといいます。水木さんも京極さんも、妖怪との共存を本気で主張おられます。あるべき宗教に戻り、精霊(妖怪、幽霊、妖精)に好かれる生き方を考えていくことこそが求められているのではないでしょうか。

読書中に付箋を貼っておいた、本書に登場する人々を参考までにご紹介しておきます。私としては、精霊の世界に入り込みすぎないように注意する必要もあるという印象を持ちます。
・荒俣宏
・小松和彦
・中沢新一
・コリン ウィルソン
・松田哲夫(編集者)
・井村君江(本書で対談)
・大泉実成(本書で対談/『精霊の楽園』の著者)
・宮田雪(ホピ族と長く暮らし、映画『ホピの予言』を撮影した映画監督・漫画原作者)
・足立倫行
・京極夏彦(本書で対談)
・里村欣三(『河の民』の著者)

内容の紹介

会場に来て驚いたのは、日本にもまだこんなに終戦後の人がいたのか、というほど貧乏感に満ちあふれていた会場だった。
   “精霊好き”はみなこういうふうになるのだろうと思った。物を持たない、物に執着しない、というのが精霊に好かれる条件なのだ。 – 46ページ

 

大泉 僕はセノイ族のところへ行った時も、やたらに向こうの精霊が夢に出てきましたよ。
大木 森の精気を吸っとるから、そこが違うところですよ。都会の粉塵を吸っているのとは違うから。精霊信仰というものは、大昔にあって退化したような信仰のように考えられていますけど、それが、そもそもの過ちなんです。森へ行けば、誰でも感じられるんですよ。
大泉 セノイ族は文字は持たないけれども、「僕たちは夢で伝達しているから大丈夫だ」というんです。 – 118ページ

精霊信仰を、宗教の未発達な段階であると規定したい人々に騙されてはいけませんね。

大泉 現代社会では、飯を食うこと、金儲けがとても重要なことになっていますからね。
水木 だから会社に真面目に勤めて、それしか世の中にはないと思っている人が多い。経団連の人とか、特にそうでしょ。で、政治家がそれに追随するでしょ。だから変なことになってるわけですよ。今こそ政治家に精霊信仰を植えつけなければいかんですよ。日本では仏教などが入ってきて、屁理屈を言うような、もっともらしい宗教が幅をきかしているでしょ。 – 120ページ

人の本来の生き方や、生命の本来の在り方を調べていくと、人は動物として楽しく生きることが最も本来的なのだと思えてきます。そのためには、人を学校や会社に閉じこめておくような社会では困るわけです。

素直な信仰が人を幸せにする
水木 私はね、軍隊でも特別に苛められたり、罰を受けたりしていたんですね。それで当時の社会とか、その仕組みに反発を感じていたわけです。で、土人を見ると、ゆったりとした暮らしをしてるんですね。それを見て他の軍曹は「バカだから、ああいうふうにしてるんだ」というようなことを言うんです。でも、賢いはずの日本人は戦争というバカバカしい生活環境の中で一生懸命でしょ。それも意味のない戦争です。彼らのほうがずっと幸せだし、考え方もいいんですよ。
大泉 セノイ族でもそうですけど、狩りして疲れて寝て、朝起きて水浴びしてという、本能的な生活は、もっとも幸せなんですよね。ところが妖怪が誕生して、それが狩猟時代から農耕時代に移っていくにつれて変化していって、いわゆる農耕社会を治めるために大宗教ができていく。その結果、精霊信仰は時代とともに抑圧されていったわけですね。
水木 そうなんです。だから、まともに普通に飯を食っていこうと思って、今の世の中にあまり染まっちゃいかん(笑)。万物に生命が宿っているという、そういう素直な信仰を大事にすれば、人間は幸せになれるはずです。それを消しゴムで消すようにしているんですね、みんなは。 – 126-127ページ

 

楽しきかな、人生。
「いかにして楽して暮らせるか」は、小学校の頃からの命題だったんです。   昔は自然が豊富だったから、学校でちゃんと机に座って習うよりは、畑を歩いて花を見たりするほうが楽しかった。そういう面白いものが外界に豊富にあるのに、起きるとすぐ学校へ行かされて、締めつけられてしまう。だから私はわざと弁当を持って行かずに、ひるめしの時、一時間の間に家まで食いに帰る。その途中にいろんな田舎の道を通って面白がってたんです。 – 168ページ

家の周りに自然が残っていて、遊び回った子ども時代があれば、もっと精霊信仰に目覚める人が増えるのではないでしょうか。田舎でも、圃場整備や河川改修、ダムなどの影響で、子どもが楽しく遊ぶことのできる自然は減ってしまいました。

  戦後は、金を得ないと食えないわけですから、好きなことをして食おうということになる。だから紙芝居になるわけです。その頃、雑誌はなかったからね。
  貧乏でかなり鍛えられた。結局、容易なことじゃ金は儲からない。だから頑張らざるを得なくなってきた。金がないと米も食えんし、菓子も食えん。何もできないですから。それで、結局、働くようになったんです。 – 172ページ

元々、金を必要としていなかった私たちが、あらゆることに金を必要とする社会へと追い込まれて、必要もない活動にせっせと従事している。金の起源は物々交換になどなく、金を使わせることで利益を得る人々の意図にあったことを思い出す必要があると感じます。