郷土文化 通巻165号(道三・信長会見地異説/『明石御前道留』考/長州征伐と尾張の村など)

2019年3月26日

郷土文化 通巻165号
郷土文化 通巻165号

目次

道三と信長が会見したのは尾西市富田ではなく
岐南町徳田であった…………………………勝村 公(1)
久昌寺縁由………………………………….瀧 喜義(8)
正木町旧事記………………………………..安藤慶六(18)
豊田市「福満寺」所蔵、
横井金谷筆「法然上人絵伝」について…………..飯田英男(33)
『明石御前道留』考
―尾張藩領通過の大名「口説唄」について…………水谷盛光(37)
類題和歌玉藻集と植松茂岳歌集二種………………植松 茂(43)
長州征伐と尾張の村…………………………..桜井芳昭(51)
名古屋の探偵小説家(四)本田緒生………………..斎藤 亮(66)

平成4年発行 75ページ

内容について

「道三と信長が会見したのは尾西市富田ではなく岐南町徳田であった」では「信長公記」の記述を根拠に、岐南町徳田の江月寺を会見の場と比定しています。

「『明石御前道留』考」では、江戸時代に大名が尾張徳川領内を通過するときに起きたトラブルについて、明治39年に新潟県柏崎の平民が発行した『明石御前道留』(下)の全文を収録し、考察が加えられています。「口説唄」は、口説節ともいい、コトバンクに次ぎのようにあります。

江戸後期に流行した俗曲。心中事件や世間の話を長編の歌物語に作って、瞽女(ごぜ)などが三味線に合わせてうたったもの。鈴木主水(もんど)、八百屋お七などの事件がとりあげられた。

「長州征伐と尾張の村」では、助郷制度だけでは賄いきれない通行の多発した文久年間移行の情勢の中で、尾張の村々に対して行われた徴発や、それによる影響について記されています。