「タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源」ピーター・ゴドフリー=スミス (著), 夏目 大 (翻訳)(みすず書房 2018年11月)

哲学者が生物の研究を通じて心を探究したこの本は、見逃していた不思議に目を向けさせ、生物である自分を再確認させてくれる

※ネタバレ注意! 以下の文には結末や犯人など重要な内容が含まれている場合があります。

この本はある意味、脳の発達に的を絞った『新・人体の矛盾』であると言えます。哲学者としての視点から生物の進化を踏まえながらまとめられたこの本を読むことにより、長い年月を経て、物理的な制限を受けながら進化してきた、私たちの感覚や思考について考えることになります。例えば、単細胞生物から多細胞生物になり、情報を迅速に伝えるために神経系を発達させる必要が生まれました。捕食動物の出現は、周囲の環境を正確に把握して優れた運動能力によって逃げるといった行動や、逆に捕食するという行動が必要となることから、神経や脳がさらに発達し、運動に適した体になっていくという変化をもたらしました。

1. 左右対称性を持つということ
さまざまな形状をしていた生物の祖先の中でも、左右対称性を持ち、脊椎を備えた生物は、運動能力に優れることになりました。けれど、脳にも右と左とがあることは、右と左の脳を連携させる必要が生じてきます。例えば、ハトは、右目で見て覚えた行動を、左目だけで再現することができません。私たちは、両目で物を見ることができ、記憶も両方の脳で共有されていますが、それは当然のことではないようです。

2. 神経細胞が頭に集まっているということ
私たちは、脳に多くの神経細胞が集まっていて、まだ議論の余地はありますが、脳が体全体を統制しているように思えます。一方、タコの神経細胞の塊は腕にも存在しており、8本分を合計すると頭の部分の脳よりも重量があります。そして、腕はある程度自立的に動きます。このような存在を知ると、私たちの体にも、ある程度タコの腕の脳に似た部分があるのではないかという空想が広がります(「腸は第二の脳」という言葉もあるようですね)。

3. 意識はいつ生まれたのか
意識はいつごろから生まれたのかという問題もあります。敵を見つけて隠れる行動や、より快適な場所へと移動するという行動は、どれほど意識的に行われているのでしょうか。私たちの体は感覚器官で得た情報すべてを意識にまで上げて処理しているわけではありません。もともと、感覚器官と運動器官は別々の存在で、神経系によって制御されるとはいえ、脳が発達してきて意識が生まれてくるのは後のことですから、意識の介入しない反応があるのは当然のことなのでしょう。しかし、意識に集中しすぎると、その事実を見落としてしまいます。

4. 神経系は高コスト
神経系は素早い動作と引き換えに多くのエネルギーを必要とします。人体ではエネルギーの5分の1が神経系に消費されます。このため、脳を発達させることにはそれに見合ったメリットが必要となります。脳を発達させるメリットがあるかどうかは生物種の生き方が関わってきます。タコなどの頭足類が短い寿命しかないにも関わらず神経系をよく発達させる理由については本書の後の方で考察されています。ヒトを含め生物が発達させている機能にはしかるべき理由があります。

5. 言語ついて
タコやイカは脳は良く発達していますが、言語を持ちません。複雑な思考には言語が必要であるかどうかが研究課題として残されています。言語を持たなくても、隠した餌の場所や腐りやすさを覚えているらしい鳥の例や、群れでの順位に応じて聞こえた声に異なる反応を示すヒヒの例が紹介されており、言語を持たずとも、複雑な思考ができる可能性が示されています。

6. 最後に
人は進化の過程で高いコストを払ってでも脳を発達させる方向へと進み、やがて言語能力を手に入れました。何が人をそのような方向へと進める要因となったのかを検討することは人の性質について考える手がかりを与えてくれそうです。言語能力を手に入れてヒトが得た生存の優位性は、泳ぐ柔軟性と引き換えに捕食される危険性が高まった頭足類が寿命に見合わない脳の発達を示したような肉体的バランスの世界で、あまりにも圧倒的であることを私は危惧します。

追記:
この本を読みながら思い出されたのは『クジラは昔陸を歩いていた―史上最大の動物の神秘』でした。同書には、哺乳類の世界に「ヒト山」と「クジラ山」というきわだって高い二つの山がお互いに遠く離れたところにそびえているとありましたが、本書では、脊椎動物の山に対して頭足類の山がそびえているという印象を受けました。また、クジラが大きくなったのは、深海のイカという資源を見つけたからだという話があり、本書で知った、大量に繁殖して短い生涯を送る頭足類の生き方とつながってもいました。