「クジラは昔 陸を歩いていた―史上最大の動物の神秘」大隅清治(著)(PHP研究所 1988年5月)

哺乳類の世界にきわだって高い二つの山がお互いに遠く離れたところにそびえている。それが「ヒト山」と「クジラ山」である

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クジラたちにとって地球は狭い。
水深3000メートルまで潜るマッコウクジラ。
カリフォルニア半島周辺から北極海まで季節ごとに周遊するコククジラ。
シャチの最高スピードは時速六四キロだ。
バンドウイルカは空中七メートル近くまでジャンプでき、
ザトウクジラの声は1800キロ先まで届く。

ヒトが家を作り、耕作地を広げて安全性の高い環境を作ったように、
クジラたちは海という新天地に出て、安全性の高い環境を手に入れ
知能を伸ばしたようだ。

長寿記録は114歳、
動物としては珍しく、更年期を越えて生きているものもある。
野生動物としては平均寿命も長く、大型のものは20~30年。
これは、乳幼児死亡率の高かった頃の人類にも匹敵する。

保母さんのように母親同士で子くじらを預け合うマッコウクジラや、
群れ(ポッド)によって食物や遊動性、鳴き声に違いのあるシャチを知ると、
クジラたちとヒトの意外な近さを思うことになる。

温度の変化や水圧の変化に柔軟に対応できる体や、
真水を得られない海で生きるための身体の変化にも驚かされる。

6500万年前にネズミほどの大きさで陸上に住んでいた動物が、
海に進出して、豊富な食べ物を得て、
クジラが生まれた。

私たちと同じように長く生き、
大脳新皮質の発達した
巨大な生き物の世界ができあがったのだ。

日本の鯨学の近代化に大きく貢献された故小山鼎三先生は、医学部の教授なのになぜクジラを研究するかについて、「ヒト山」と「クジラ山」のたとえ話をしておられた。哺乳類の世界にきわだって高い二つの山がお互いに遠く離れたところにそびえている。それがヒト山とクジラ山である。
人間をよく理解するには、ときどきクジラ山に登って、その頂(いただき)から遠くのヒト山を眺めるのがよい。それによって、ヒト山に登っているだけでは見られない別の側面から、人間を知ることができるのである。だから、クジラを理解することはひいては人間の理解に役立つのである、というお話であった。

クジラがこれほどまで海に適応してきた道筋を思う時、わずかな変化の積み重ねの重さを感じる。ヒトのおよそ10倍長い歴史である。新天地で苦労を重ねた結果、大きな心と体を得たクジラを知ることは、確かに、ヒトを知るために役立つ。

本書を読みながら思い出した本たち

森の奥の巨神たち ロボットカメラがとらえたアジアゾウの生態』:クジラ、ヒトと並んで大脳の大きい動物
考える寄生体―戦略・進化・選択』:寄生虫だらけのクジラたち

内容の紹介

シロナガスクジラは、夏場は高緯度海域で食物を食べ、冬場は食物の少ない低緯度海域で繁殖するため、一年中食物を食べているわけではない。 食物を食べるのは一年のうちの三~四カ月にしぎないので、平均すればそれほどたくさん食べてはいないのである。 – 72ページ

 

残った道はただひとつ、体内で水を作るという方法になる。 食物を体内で酸化し、エネルギーを得るときには、脂肪や炭水化物やタンパク質が分解されて水ができる。 この水を利用するのである。 – 92ページ

 

ハクジラ類は自分が出した超音波に物がぶつかって戻ってくる音を聞いて、周囲の地形や生物などの形を見たり、距離を測ったりすることができるのである。 この方法は潜水艦のソナーやコウモリが使っているのとほとんど同じものである。 – 104ページ

 

ひと昔前までは、クジラの触覚はひじょうに鈍いといわれていた。 しかし、水族館で飼育されているハクジラ類や海洋でのヒゲクジラ類の観察例が多くなるにつれ、これは誤りで、クジラでは触覚がよく発達しているらしいことが判ってきた。 – 106ページ

 

現在まで、口笛のような音のさまざまなパターンが記録されているのだが、この音には法則性が認められない。 残念ながらこの音は言葉ではないのかもしれない。 また、たとえ言葉であったとしても、それは人間の言葉とはまったく違った構造をもち、使われ方もまったく違うものなのだろう。 – 112ページ

 

ザトウクジラの歌は、冬の繁殖期に、単独で行動しているおとなの雄だけが歌う。 さらに、同じ時期に同じ海域にいるものは、すべて同じ歌を歌うことも知られている。 そして、この歌は、一シーズンの間にも次第に変化していき、またシーズンごとにも変化していく。 しかしそれでもなお、同じ時期に同じ海域で歌われる歌は明らかに一つなのである。 – 114ページ

 

脳全体の大きさと、脳のうちで生命を維持する基本的な行動をつかさどる脳幹の部分の大きさの比を見てみよう。 本能をつかさどる原始的な部分が、脳の中でどれくらいの比重を占めているかを見るのである。 この値は一般に下等な動物ほど大きくなる。
この比でみると、マッコウクジラ、小型ハクジラ、ゾウ、ヒトがほとんど同じ値となり、かなり間を置いてヒゲクジラ類とウマとが同様の値で続くことになる。 このようにして見ると、脳の大きさから見た場合には、ヒトとゾウ、ハクジラ類は、哺乳類の中では体と比べてかなり大きな、しかも高等な脳をもっているということになる。 – 125ページ

 

一般的に、ある動物の密度が減ってくると成熟年齢が低くなるという法則が動物界にはある。 ある種類の動物の生息密度が低くなると、もとのレベルに数を戻そうという力が働いて、成熟年齢が下がる。 つまり繁殖に参加できる数を増やして、子の数を増やそうという力が働くわけである。 – 142ページ

 

クジラの交尾については近年新しい報告が増えているが、中でも興味深いのは、ゴンドウクジラの仲間に、ほとんど一年中交尾可能な種類が多いことである。 自然状態で周年繁殖が可能なのは、ヒトとこれらのハクジラだけである。 コビレゴンドウでは、更年期に達した雌も交尾を行うらしい。 – 155ページ

 

健康の面を考えても、クジラはたいへん恵まれている。 おとなのクジラでは、命を落とすような病気にかかることがひじょうに少ないらしい。 クジラの体の内外にはきわめて多くの寄生虫がいることは知られているが、それらがクジラの生命をおびやかすことは少ないようだ。 また、海洋というひじょうに清潔な環境では、伝染性の病気にかかることも少ないだろう。
さらに仲間同士の争いはあるものの、致命的になるほどの傷を受けることも少ない。 マッコウクジラなどでは、闘争によってあごや尾にひどい骨折を受けているものも見られるが、それでも不自由せずに暮らしているようである。 – 178ページ

 

寄生生物はクジラの体表だけでなく、体内にも多くみられる。 ほとんどすべてのクジラの胃や腸には、線虫やサナダムシのような寄生虫が大量にいるし、小型ハクジラ類では肺や膵臓や内耳にも寄生虫が見られることがある。 また、多くのクジラの脂皮の中にも、サナダムシの幼期の個体が、豆粒のように散らばって巣喰っている。 これらの寄生虫はクジラの体から養分を得て生きているが、健康なクジラでは寄生虫の影響はほとんどないらしい。 – 211ページ

 

縄文時代後期に入ると、人間とクジラの関わりを示す証拠はぐっと増える。東京以北の貝塚からは、イノシシやシカの骨といっしょに、アシカやオットセイ、ラッコなどの海獣の骨と、大型や小型のクジラの骨がたくさん見つかっている。 また、北海道やサハリンの貝塚からは、装飾品にクジラ漁のようすを描いたものや、クジラの骨で作った臼や銛の先が見つかっている。 クジラ漁のようすは骨に刻まれており、この時代の人々が小船に乗って銛でクジラを捕っていたことが判る。 – 216ページ

 

日本では、こうした欧米の捕鯨とはまったく別に組織的な捕鯨が十六世紀から始められていた。 日本式の捕鯨は、現在の愛知県東部にあたる三河藩で始められた。 最初は、和船を用いて小さなクジラを銛で突く「突き取り式」であったが、一七世紀中頃に、網にからませてから銛や刀でしとめる日本独特の「網捕り法」が生まれた。 この網捕り法によって、捕鯨の対象はセミクジラやコククジラ、ザトウクジラなど、大型のヒゲクジラ類にまで広がるようになった。 – 228ページ