「水木しげるの大冒険〈2〉精霊の楽園オーストラリア(アボリジニ)」 大泉 実成 (著) 水木 しげる (イラスト)(祥伝社 2000年9月)

いつも見る風景

精霊信仰について知りたいと思っていたので図書館で見かけたこの本を借りてみました。
水木しげるさんの本かと早とちりして借りたのですが、大泉さんんというライターの方が主となった本でした。

旅の記録のような内容であったことや、水木さん自身の言葉でないこともあり、目的とした精霊に関する内容はそれほど多くありませんでした。
他方で、この本でもまた、地域に元々暮らしている人々を動物のように殺し、あるいは土地を奪っていく、おそらくは悪魔思想を持った一部の人間に操られた西洋人たちの姿が繰り替えされていました。
特に、現在の状況とつながりの深いのは、アボリジニたちの聖地におけるウラン鉱山の開発とその反対運動です。大きく報道された記憶はありませんが、主に日本への輸出用にウランを採掘しようとして、世界遺産の地を堀、放射性物質で水を汚染するという蛮行が行われる様子が記述されていました。

特に面白いなと思った部分

アボリジニ  舞い上がる砂塵、じりじりと肌に喰いこんでくる陽ざし、乾ききった空気。しかし、アボリジニの長いまつ毛は砂塵を防ぎ、こげ茶色の肌は太陽にビクともしない。この大気の中で、帽子もかぶらず、裸足で生きていけるとは、なんたる体か。改めて僕はここはアボリジニの国だと思った。(大泉)。 -18ページ

四人のアボリジニのカラー写真に重ねられた文章です。なるほど、オーストラリアの大地に生きるための体なのだと納得がいきます。ピダハンでもそうでしたが、人間は、自分の体を鍛えて気候に適応してきたのだということがわかってきたように思います。

まえがき

私は、オーストラリアのアボリジニという土着の人々のところへ行って、一週間ボンヤリしてきた。

寝ていると思うと、ガバッと起きて“絵”をかく(ヒルの話)。アボリジニは絵が無類に好きらしい。

文字はない。寝ることがすきなようだ。

いろいろな民芸品を買ってきて、一ヶ月はながめていたが、彼等がオーストラリアの“主(ぬし)”だということが次第にわかってきた。

要するに、彼等の作ったものに囲まれて考えていると、彼等のココロがだんだん分かってくる。始めは、なまけ者だと思っていたが、いまでは、人間本来の姿、即ち、人間がそういう生活をしてみたいと思っている生活(もっとも水木サンだけかもしれないが)を贈っている人々なのだということが分かった。 (水木)-76-77ページ

この部分には、『センス・オブ・ワンダーを探して』で触れられているホームレスの話と共通する部分がありますね。
また、本来の生活さえできるのならば、人間は気高い存在として生きられるということも示しているように思います。

このように、土地は、木の精霊や鳥の精霊という精霊とも強く結びついてきました。ところが、白人によって土地は奪われてしまった。私たちがアボリジニの土地を返すよう政府に求めているのも、精霊を守ろうとしているからなのです。

白人がすべてを変えてしまった。アルコールやジャンクフードや麻薬を持ち込んできた。それまで私たちはブッシュタッカー(ブッシュに生える木の実などの食べ物)を食べて、ヘルシーに生きてきました。今はひどい。白人はこうした責任を認めて、少なくとも私たちが住んでいた土地を、私たちに返すべきなんです。 -109ページ

地球の環境は千差万別であり、暮らし方も千差万別になるはずであるのに、今の世界はこれを無視して世界を均質化するような状況へと突き進んでいる。
そのような世界を実現できるのであれば問題はないかもしれないが、無理に無理を重ねて、誰一人として幸せになれない世界しか実現されていないように思える。
であれば、やはり、何も問題のなかった以前の状態に戻すしかないのではないか。アボリジニの生活のように。

大泉  とにかく、世界文化遺産で世界自然遺産で、国立公園内にあってアボリジニの聖地で、しかも政府から正式に認められたアボリジナル・ランドで、その上ラムサール条約で認定されてる湿地帯なのに、そこからウランが出るとわかったら勝手に掘るっちゅうんだから。
悦子  この前ニュースでたってたんですけど、関西電力は「売ると言われれば買う」って言うんですよ。 :-121

悦子さんは現地でスーパーサブとして一行に加わった方です。
原発のみでなく、さまざまな経済活動が、広域化によって情報隠蔽が可能になったことを背景として実現されているように思います。

ジャビルカは、ミラル・グンジェイッミという氏族が所有していた。

長老のトビー・ガンガーレさんは、約十八ヶ月にわたって、「北部土地評議会」と政府によるジャビルカ鉱山開発協定の交渉の場へと、体調を崩していても、病気の時も、連日のように呼び出された。ドキュメンタリー映画「ジャビルカ」を見ていると、ほとんど「連行された」に等しい扱いだった。

病気でヘロヘロになったトビーさんは、鉱山開発に反対だったにもかかわらず、土地使用の「同意」へと追い込まれる。 -174-175ページ

いまの日本でも、不当拘束が当たり前に行われているように、特定の部分だけに機能を与えることそのものが、必然的に不正を行うことを前提としてた仕組みなのだろう。

そして、そのウランの四十%を日本が購入している。ジャビルカ鉱山が操業を始めると、そこで製造されるウランの半分以上は、日本が購入することになると予想される。

なんのことはない。「なぜオーストラリア政府が、ジャビルカ鉱山のウラン採掘を認めているのか」に対する最もシンプルな答えは、「日本がそのウランを買うと言っているから」なのである。最大の顧客がいなくなると、ジャビルカ鉱山はおろか、レンジャー鉱山でさえ維持できなくなるのである。 -176@ページ

利権だらけの原発を続けることで、他人の大切な宝物を踏みにじる行為に手を貸すことになるという現実があるが、遠く離れているためにこの現実を認識できなくなっている。

社会的弱者に対して国家がすることは、日本もオーストラリアも同じだと改めて感じた。そしてジャビルカ鉱山問題が改めて身近なものとして迫ってきた。 -228ページ

国家は本質的に暴力装置であって、良い国家など存在しないと断じるべきなのではないか。つまるところ、国家に限らず強大な権力が存在することそのものが悪なのではないだろうか。