「日本の川を旅する―カヌー単独行」野田 知佑 (著)(講談社 1989年7月)

川は恐ろしく、大きな災害をもたらしもするが、ダムや護岸で固めてしまっては元も子もないのだ

私の故郷では、今でも子どもたちが川で泳いでいます。鮎釣りや渓流釣りも盛んで、解禁日になると、川にずらりと釣り人が並んでいます。私自身は、余り水が得意ではありませんが、そんな場所で育ったため、橋の上から川を覗き込んで魚影を確認するような行動が習慣として身に付いています。

今住んでいる場所は、川の中州と言ってもいいような場所ですが、川に近づけば生活排水によって汚された臭いが漂い、少しも爽快感など得られません。我が家の隣にある今では水のない水路は、以前は水が流れ、フナなども住んでいたそうです。近代化は、人の身近な場所から水辺の楽しさを奪ってしまいました。

この本は、1982年に日本ノンフィクション賞(新人賞)を受賞した作品です。北海道から九州まで、日本各地の河川を下り、雑誌「旅」に収録された14編のルポで構成されています。先程検索してみたところ野田さんはすっかりおじいさんになられて、印象も変わってしまいましたが、2012年に出版された『川の学校』も高い評価を受けており、自然の中に遊ぶ楽しさを伝えながら、理不尽な環境破壊から自然を守るという姿勢が一環していることがわかります。

そのような野田さんによる本書では、川の近くに住み、川で遊んできた沢山の人たちが登場します。また、川で遊ぶことのできなくなっている状況や、変わっていく川の様子なども知ることができます。収録されている川は次のとおりです。
・釧路川(北海道)
・尻別川(北海道)
・北上川(東北)
・雄物川(東北)
・多摩川(関東)
・信濃川(甲信越)
・長良川(東海)
・熊野川(関西)
・江の川(中国)
・吉井川(中国)
・四万十川(四国)
・筑後川(九州)
・菊池川(九州)
・川内川(九州)


都会では小さくなっている老人が、ここでは生き生きしているという記述が印象的です。



追記:本書に対して異論を述べるとすると、明治以降植え付けられた、西洋人はすごいんだ、日本人はだめなんだという思考を持ったままでは、自然を破壊し続ける経済活動に歯止めをかけることはできないと、そろそろ気づくべき時期に来ているのではないかと私は考えています。世界を征服して、経済活動を大規模化させてきたのが西洋文明なのですから。

内容の紹介

  夕方のテレビのニュースで、増水した長良川が画面に映った。
  漁師たちが大きな「サデ網」で「濁りすくい」をやっている。 川の水位が上がり、流勢が強くなると、魚たちは流されないように流れの弱いよどみに集まって難を避ける。 そこを岸から長い柄をつけた大きなアミですくいるのである。
  ところが、アナウンサーは「濁流渦巻く川に近寄るとはとんでもない。 大変危ないことをするものだ」という意味のことをいい、本当に困ったもんです、と眉をひそめた。
「馬鹿なことをゆうちょる」
  テレビを見ていた男たちは口をそろえて憤慨した。 アナウンサーもニュースの原稿を書いた記者も都会生まれの都会育ちの人間なのであろう。 何も知っちゃあいないのだ。
「濁り掬い」「濁り打ち」(投網)、「濁り釣り」などの増水時の漁は、日本中の川で昔からやっている大切な漁法である。
  都会の人間は増水した川を見て「恐ろしい」としか感じないが、田舎の人間は「魚を獲る絶好のチャンス」と考える。 その違いだ。 – 167ページ

森の猟人ピグミー』のコリン・M・ターンブルや『ピダハン』のダニエル・L・エヴェレットもそうですが、やはり対象に対する愛情がこちらにまで伝わってくる作品は読み応えがあります。