山を歩き、カモシカと出会った

山にニホンカモシカがいました。
私の接近に気付いて飛び起きたカモシカはしかしそれほど逃げもせず、笹の上に顔を出してこちらを伺っていました。
そのまま私が進んでもカモシカは動かなかったため、15メートルほどの距離にまで近づくことができました。
警戒の声を出すことも、威嚇の動作をするわけでもなく、ただこちらを凝視していました。
近づくことは危険と考えて、私はカモシカを刺激しないように通り過ぎました。
 
父に話すと、父はカモシカが6頭ほども群れている場面にも出くわしたそうです。
野生のカモシカ』にも書かれていなかった珍しい状況です。
 
その後、父と共に1時間ほど山を歩きました。
山にはカモシカの糞がありました。
 
さらに進んでいくと、柔らかい草を倒して、すっぽりと入れるようにした場所がありました。
父はカモシカが寝たところだと言います。確か『イノシシ母ちゃんにドキドキ』によれば、イノシシは子育ての際にこのようなベッドを作るとありましたが、カモシカも作るようです。
 
 
我が家の飼い猫たちもそうですが、動物たちは、私たちと同じような感情を持っているということを、直接の体験からは知ることができます。少しでも快適になるように工夫してみたり、時に仲間と集まったりということがあるのでしょう。
 
 
そうした私たちと同じような感情を持った相手である動物と自然の中で出会うと、自分たちも本来、こうやって生きているのだということを思い返すことになります。
 
 
これほどまでに人口環境が広がる以前の人類は、山で出会う動物たちとほとんど変わらない暮らしをしていたはずです。
 
そこから遠く離れた今の私たちは、動物と人間が同じような存在であるということさえ忘れがちになってしまいました。いや、むしろ科学の力で、人だけが心を持つのだという言説を広めるような存在になってしまいました。
 
人口環境に囲まれて生きるということは、そうした欺瞞に囲まれて、不自然な生を強いられるといことなのだと、私には思えるのです。