郷土文化 通巻139号(織田信雄家臣団/金城天守台の銘石発見覚書/名古屋御城下まち名由来年代記など)

2019年4月12日

郷土文化 通巻139号
郷土文化 通巻139号

目次

式内社伊奴神社(山田郡)の鎮座地の問題…………..木立英世(1)
天白社の立地に関して(1)―美濃・尾張……………三渡俊一郎(3)
織田信雄家臣団について……………………….山ロ茂(15)
金城天守台の銘石発見覚書……………………..水谷盛光(29)
「名区小景」の和歌について(1)…………………植松 茂(38)
愛知郡千種村の地籍について(3)…………………小林 元(48)
名古屋御城下まち名由来年代記(完)………………服部鉦太郎(59)
「亀甲鶴」執筆のころの小栗風葉………………..森下肇(83)
郷土クラブと「郷土史」教育……………………加藤英俊(86)
「郷土史の常識」を考える(5)式内社……………..太田正弘(90)

昭和59年発行 91ページ

内容について

「金城天守台の銘石発見覚書」では、昭和58年11月2日と3日に朝日新聞で報じられた名古屋城石垣の刻印について、名古屋城の「百科全書」といわれる『金城温古録』などにあたりながら経緯や疑問点などが記されています。なお、『金城温古録』は蓬左文庫でpdf版が販売されているようです。なお、金鯱(きんこ)城と呼ぶのは、誤りであるとしてあります。

「「名区小景」の和歌について(1)」では、幕末の尾張国の情景と文学情況を伺う資料として『尾張名所図会』と並んで重要な『名区小景』(3編、240景)から名古屋に関する名所の和歌(狂歌を含む)とその作者について解説されています。

「「亀甲鶴」執筆のころの小栗風葉」では、明治29年に発行され、克明な酒造描写と、酒蔵で働く人々の生き生きした様子を特徴とする小説『亀甲鶴』の作者である小栗風葉について記されています。一般に、失意の日々を送ったとされる頃に実際には、扶桑新聞への小説連載をはじめ、決してそうではなかったのではいかとしてあります。

「「郷土史の常識」を考える(5)式内社」では、江戸時代中期までごく一部を除いて忘れられていた式内社が現在ほとんどが存在しているのは、学問上首肯できない穴嵌め・割り振りの結果であると指摘してあります。