郷土文化 通巻136号(「ええじゃないか」騒動発祥地考説/田崎草雲の研究/飯沼怒斎翁の血縁など)

2019年4月9日

郷土文化 通巻136号
郷土文化 通巻136号

目次

尾張国式内社の鎮座地の問題……………………木立英世(1)
名古屋御城下まち名由来年代記(2)……………….服部鉦太郎(4)
「ええじゃないか」騒動発祥地考説………………水谷盛光(23)
田崎草雲の研究………………………………柴田芳一(32)
“青松葉事件”再発見と異聞……………………..水谷盛光(42)
飯沼慾斎翁の血縁…………………………….吉川芳秋(45)
尾張出版文化覚書補遺…………………………太田正弘(51)
小牧市・八雲町の交歓メモ……………………..水谷盛光(54)
「郷土史の常識」を考える(2) 日本後紀の記事……..太田正弘(58)
名古屋文化史年表稿(35)……………………….加藤参郎(59)

昭和58年発行 63ページ

内容について

「「ええじゃないか」騒動発祥地考説」では、幕末のええじゃないか騒動について、昭和57年7月19日のNHKラジオ第一放送で「東海歴史異聞」の第一回として「ええじゃないかは豊橋で始まった・黒羽清隆」が放送されたことを受けて、著書で刈谷発祥説を唱える著者が考察を加えています。豊橋発祥説は、羽田野敬雄氏(1798~1882)の日記に、慶應3年7月24日に西羽田村の民家へお札が降ったことが記録されていることからの類推であろうとしてあります。

「田崎草雲の研究」では、幕末~明治中期の画家であり、『大菩薩峠』の田山白雲のモデルとなった田崎草雲の生涯をたどりながら、最後に尾張国前野村(現江南市前野)吉田竜雲氏に残る「信濃屋吉兵衛留書」に発見した草雲の足跡にわずかに触れてあります。

「飯沼慾斎翁の血縁」では、江戸時代の医家で本草学者の飯沼慾斎の生誕200年を前に亡くなった、飯沼怒斎の血縁にあたり、植物学者としても有名な熊沢正夫理学博士の経歴、飯沼怒斎翁の書簡、本項の著者の著書に寄せられた熊沢博士の序文などが収録されています。