東海道五十三次 (1971年) 山下 清 (著) 毎日新聞社 大型本 146ページ

東海道新幹線が開通したばかりの時期に、フェルトペンで書かれたこの遺作は、むしろ各作品に添えられた文章が響く。

長岡の花火の貼り絵や、芦屋雁之助による裸の大将で有名な山下清。彼の遺作となったのが、この東海道五十三次をフェルトペンで描いた作品である。名古屋の熱田神宮まで仕上げたところで病に倒れ帰らぬ人となったが、終点の京都まで仕上げられていたことが判明し、こうして出版されたものだ。

55点の作品が掲載され、作品ごとに50~200文字ほどの文章が添えられている。山下清が文字を書いた原稿用紙も収録されているのだが、作品に添えられた文章とは文体が異なっている。作品に添えられた文章は編集者によって整理されたものかもしれない。けれど、その文章の多くが私の胸に響いてくるのである。
「戸塚」に添えられた文章を引用してみよう。
わらぶき屋根    
東海道というのは人の歩く道で
国道一号線というのが車の通る道で
べつにあるのかと思ったら
ここじゃ一緒だな
わら屋根の家がほこりだらけで
かわいそうだな
コーヒー牛乳をのもうと思うんだけど
向うがわにわたるのが大変だな
人間の住んでる町が自動車やほこりでよごれてるのに
列車線路のそばにある工場のあたりが
広い芝ふがあったりしてきれいなのは
どういうわけかな
私は山下清という人がこういう感性の持ち主であることをまったく知らなかった。先日、偶然、これらの作品を展示したギャラリーを訪れ、知ったのだった。

私は、車に注意し続けなくてはいけない暮らしが大嫌いで、気ままに歩けるなら、どんなに不便でも車のない暮らしのほうがずっとましだと考えるような人間だ。

そんな私にとって、この本で出合った山下清の言葉は、共感できるものがほとんどだった。

巻末に、東海道五十三次を企画した、式場俊三氏の「放浪以後」と題する文章が収録されている。中に私がひっかかった文章があった。
そんなもんだろうと出かけたヨーロッパは、りっぱな建物、大きな人間、上等の公園と、どれひとつをとっても文明日本の母型で、やたらと劣等感にせめられたらしい。帰国して最初にいった言葉が、はっきりしたものだった。「こんどは、土人のいるジャワかスマトラへいきたいな」
自動車を嫌い、墓参りをしても死者が喜んでいるかどうかわからないといい、お宮にも泥棒はいるという山下清にとって、ヨーロッパは幸せな場所ではなかったのではないだろうか。だから、土人の国に行きたいと言っているように私には思えるのである。この言葉の真意を確かめるために、次は同じく山下清の『ヨーロッパぶらりぶらり』を読んでみたい。
 
 
(山下清の東海道五十三次は文庫文にもなっています。)
 
絵と文章が、山下清「東海道五十三次」で紹介されています。また、動画でも挙げられています。
 
知立・八橋の文章も引用しておきます。
八橋    

景色をながめるのに
ルンペンとそうでないのとどこがちがうかというと
ルンペンはぼやっと景色をながめてるだけだな
ほんとうは景色にはいろいろお話がついていて
話をきいたひとはみんな
かんしんしているのがおもしろい
八橋は子供が遊ぶために作った橋で
その子供は遊ぶところがなくて
海へいっておぼれて死んだので
おかあさんが死んだ子供のために作ったというのは
どういうことかな
私は「言葉」の機能ついて、よく考えるのですが、ここに挙げられているのは、言葉が景色に意味を付けるのだという話にもとれます。ルンペンにとっては、そうした意味付けは無意味で、だからこそ、本質が見えるのだと言っているようです。