「睡眠文化を学ぶ人のために」高田公理/掘 忠雄/重田眞義 (編)(世界思想社 2008年4月)
食が文化であるように睡眠も文化である。これまであまり、文化的側面に注目されることのなかった睡眠をさまざまなアプローチから文化的に扱うのが睡眠文化学。
人はどのような服装で眠るのか。社会は睡眠をどう評価しているのか。夢をどうとらえているのか。誰と眠るのか。安眠のためのお守りなど、睡眠は文化的な側面を持つ活動です。しかし、これまで、睡眠は自然科学の対象として考えられがちであり、社会的・文化的・人類学的アプローチはあまり行われてきませんでした。
本書では、食文化研究にならって、「睡眠文化」という概念を規定し、環境と生理という科学のレベルの中間に、文化のレベルとしての睡眠を配置して、眠りの制度や寝るための装置を研究の対象としています。
夢と言えばフロイトに触れないわけにはいきませんが、本書ではその後の脳科学の発展から、フロイトの提唱した理論は否定され、罪が大きいとまで指摘されています。
「夢と睡眠行動」と題された第1部では、その他に夢の民族誌(見る夢を制御する文化を持つ民族など)、眠りの「プレイ」モデル(ゴルフとの類似性)、相互浸透する眠りと覚醒(夢遊病、金縛り、おやつとシエスタ)が扱われています。
「眠りの時空間」と題された第2部では、眠りの時間と寝る空間の歴史的変遷、眠りを誘う音・光・香り(感覚刺激の遮断と幻覚体験の低減、香りの感情との直結性など)、眠具(枕、ねむり着、「ねむり小物」)が扱われています。
第3部では睡眠文化学の未来として、人類学、社会学、心理学と行動科学からのアプローチに加え、哲学的考察と、睡眠文化を学ぶ人に向けて睡眠文化学の位置付けや意味がまとめられています。
最後に本書の執筆陣による座談会が収録されています。
一つの学問領域に収まらない内容であるためとりとめのなさは感じられます。しかし、意味がないかというとそれは違います。たとえば、居眠りや枕の使用、ジャージでの睡眠など、私たちにとって当たり前の行動が文化的背景を反映した行動であることがわかります。また、人類学という学問分野の中でも特に睡眠に関する話題を集めることで、睡眠、特に夢をどうとらえるかが、宗教や政治のあり方と同様に重要な研究課題であることもわかります。
食事をとらないことができないように、睡眠をとらないこともできません。食事抜きで働くことができないように、眠らないで働くこともできません。栄養を補給するためだけに食べることもあれば楽しむために食べることもあるように、睡眠にも質があります。食に歴史があるように、睡眠にも歴史があり、より快適を求めるようになっていくという点で共通しているということもいえそうです。
基本的に章ごとに執筆者が変り内容も大きく変わるために読みにくさ、興味の持続しにくさはありましたが、睡眠について考える上で有意義な読書になりました。
内容の紹介
ひとつの例を紹介してみよう。 「大好きな祖母がいて、日頃とても仲良く、生まれてこのかたなんら問題があったことがない。 ところがある晩、「私は出刃包丁で祖母を殺してしまった」夢を見た、この意味はいったい何なのか」というような質問を著者はよく受ける。 もし、フロイトの理論で考えるなら、表面的に親密であろうと、(自分も気づかない心の奥の)潜在意識のなかで、祖母を憎んでいたことになる。
現在の脳科学では別の解釈が考えられる。 この例では、祖母、料理をしていたときの出刃包丁、それらの夢の材料が、夢を見ているときの思考の混乱によって、無秩序に組み合わされるので、覚醒時には想像もできないストーリーにつくり変えられるのである。 祖母を憎んでいるわけではないのに、そう考えさせようとするフロイトは罪深い。 – 32ページ
レム睡眠中には海馬も活性化されるが、この状態で、壊れやすい記憶が安定した記憶に変えられ、さらに側頭葉にある記憶中枢へと移されると考えられている。 ある種の記憶はレム睡眠を奪うと不安定のまま保持されないで消失する。 最近では睡眠全体が覚醒時の記憶を安定化させているという実験結果も増えている。
いっぽう、自転車や水泳のように、いちど習得してしまうと一生忘れない記憶に運動記憶(手がかり記憶)がある。 運動記憶は海馬に依存しない。 海馬に障害があっても自転車に乗る練習をすると、次第に上手に乗れるようになり、時間が経っても忘れることはない。 上下左右が逆転して見える眼鏡をかけて生活すると、はじめは見える世界が異なり、また手や指の運動がうまく対応しないし、吐き気をもよおす。 しかし、上下左右逆転の世界に慣れてくるとローラー・スケートに乗れるようにもなる。 ところが眼鏡をかけてからレム睡眠をとらせないようにすると、この学習の成立が遅くなる。 新しい環境への順応には神経回路網の構成の変更が必要であるが、レム睡眠はこの変更にかかわっているようである。 – 37ページ
良い夢を見たい。それがかなわないとしたら、せめて悪夢からは解放されたい。 このような願いは太古の時代から人類共通の願いであった。 本書2章でとりあげたマレーシア半島の奥地に住むセノイ族は、古くから夢をコントロールする技術を開発してきた。 最初にこのことを紹介したのはスチュワート(一九九一)である。 この論文は一九五〇年代に書かれたものであるが、一九六九年に復刻版が紹介されると徹底した非難と攻撃にさらされることになった。 一九七〇年代のアメリカでは、夢の自己コントロールはまったく不可能と考えられていたので、この論文は受け入れられないばかりか、ついにはスチュワートの調査研究自体が捏造ではないかと非難されるまでに至った。
このような保守派の圧力にもかかわらず、この論文に影響を受けた心理学者がいた。 ガーフィールド(P.L.Garfield)である。 彼女は一九七二年にマレーシアを訪れ、セノイ族の人びとと会って調査をおこなっている。 彼女は奥地のセノイ族には接触できなかったが、同じセノイ族でゴムパクという村にある先住民のための病院ではたらいている人びとから、夢のコントロール技法を伝授されている。 帰国後、セノイ式夢のコントロールの技法をまとめ『夢学』(Garfield 1974)を発表している。 – 180-181ページ
『夢学(ユメオロジー)―創造的な夢の見方と活用法』が出ています。
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