「砂漠に生きる女たち カラハリ狩猟採集民の日常と儀礼」 今村薫(どうぶつ社 2010年4月)
私の引っ越し好きは本能か
『身体の人類学 カラハリ狩猟採集民グウィの日常行動』に続いて、グイに関する本を読みました。
本書では、グイ/ガナの儀礼に注目することで、共有関係を成り立たせる世界観が記述されていました。
グイ/ガナは理想的な利他主義者であるわけではなく、儀礼によって生命の水を混ぜ合い、愛人関係によって生まれた子にも父親の水が一定の割合受け継がれていると理解することで、血のつながらない子どもへの愛情を育んでいました。
また、子どもが自立する年齢の早さは親の負担を軽減しており、離散集合の自由さが、社会を過ごしやすい場所にしていました。
最も重要な点は、彼らが狩猟採集生活をあえて選んだということでしょう。
彼らは遅れた人々なのではなく、抑制された生き方が快適な生活、誇りのある生活、生命を感じる生活であると知って、守り続けてきたのでしょう。
子どもを自由に遊ばせ、生活の中に歌を持ち、生きるために必要な活動も楽しみながら暮らすことができるのは、抑制を知っているからであると本能的または経験的に知っている人々の姿であると私は理解しました。
内容の紹介
はじめに(5-8ページ)
(概要)
・サン(ブッシュマン)はカラハリ砂漠に住む狩猟採集民であり、少なくとも2万年前まで遡ることができる。
・かつては東アフリカから南アフリカにかけて広く居住していた。
・サンはアフリカ人グループに属しながら、皮膚の色が黄褐色で頬骨が高く小柄でアジア人に似た容貌を持つ人も多い。
・ホッテントットと呼ばれたコイコイと同じ起源を持つ。
・北からのバントゥ諸族の南下と17世紀のヨーロッパ人による土地の収奪、戦争、迫害、疾病の持ちこみにより壊滅的な打撃を受けた。
・サンは一時絶滅したと思われていたが、ボツワナ、アンゴラ、ナミビアの南アフリカにまたがって10万人ほどが住んでいる。
・家族は夫婦と未婚の子どもからなるが、同じキャンプに暮らす家族間では、頻繁に肉や食物を分け合い、鍋や臼を貸し借りし合う。
・キャンプのメンバーは、親子、兄弟姉妹、配偶者の両親など近親者の場合が多いが、遠縁でも仲が良ければ同じキャンプに住む。
・結婚した夫婦は妻の親戚とでも夫の親戚とでも一緒に住んでよく、生まれた子どもは父方にも母方にも属す。
・キャンプのメンバーは流動的で、いつでも離合集散する。
・固定した「リーダー」はおらず、場面に応じて重視される人間はいるがリーダーではない。
・超越者である神の存在を信じているが、とくに神を怖れているわけでもない。
・排他的なテリトリーを持たず、どこにでも住むことができるが、知った土地でなければ生きていくことは難しい。
彼らの社会には、貧富の差もなければ、リーダーも存在せず、神の権威もなく、集団で土地を防衛することもない。人々を親族集団に分けることもなければ、対立的な男女間の差異もない。彼らは刻々と変わる過酷な自然の中で極めて現実的に行動する。現実的な行動の一つの帰結が「すべてを分かち合う」ということである。分かち合えない人、閉じた人とは共に暮らせない。こうして、流動的な人間関係の中で、臨機応変、自由闊達に振る舞いながらも、事物への執着を怖れて自制する人々でもある。
(感想)
家族の基本単位が親と未婚の子であるという点、キャンプのメンバーが血縁関係者であるという点が興味深く感じる。
採集活動(10-42ページ)
(概要)
・ボツワナ政府の遠隔地開発計画によって1979年に井戸が整備されたことから定住化が始まった。
・井戸水と食料配給により、食物全体の中で採集物の占める割合が低下した。
・多くの人間が長期間同じ場所に定住し続けた結果、周囲の植物資源が枯渇してきている。
・その結果、狩猟採集だけによて生活することは不可能になっている。
・採集物ごとの採集時間は、薪取り3時間以内、草採集3~9時間、食物採集5~7時間。
・集団採集のほうが、長時間になりがちだが収穫も多い。
・既に採集食物よりも配給食物のほうが主要な栄養源になっているが、野生食物こそが「私たちの食べ物」であると認識されている。
・採集行動は無駄骨を避けるために情報収集に基づいており、集団で行われることが多い。
同調行動の諸相(74-85ページ)
一緒に採集に行くメンバーは、あらかじめ決まっている場合が多いが、当日になって参加することも可能である。また、採集に行く途中で、通過するキャンプの女性が加わる場合もある。どのような場合も採集に参加するか否かは個人の自発的な意志によるものであり、他の人は拒否や参加の強要をできない。 – 75ページ
同調性の強い行動として音楽活動があげられる。グイやガナが日常のいろいろな場面で交わし合う歌声や、男女が集まっておこなうダンスでうたわれる合唱では、その活動自身が人々の「共振」なしには成立しない(今村、1991)。 – 78ページ
女性の一生(102-125ページ)
(概要)
・グイ/ガナ(サンの中の言語集団)は離合集散が頻繁なだけでなく、他人のキャンプに数日から数ヶ月滞在することも多い。
・子どもでも日々寝場所を変え、両親の小屋、祖母の小屋、別のキャンプの叔母の小屋という具合に過ごしたりする。
・7~8歳になると、少年は少年だけ、少女は少女だけで寝るようになる。
・少年には、未婚の男性ばかりが寝泊りする「若者小屋」(といっても大木の下かせいぜい囲いのある程度のもの)が用意されていることが多い。
・少女たちは「ガメ小屋」と呼ばれる小屋で、老夫婦や未亡人と共同生活する場合が多い。
・グイの子どもたちは生業の手伝いや子守などを期待されておらず、かなり気ままに自分たちだけで一日をすごしている。
・子どもたちの食事は大人が食べた残りをもらえる。
・伝統的には初潮前に許婚が決まっていることが多かった。
・平行イトコを「キョウダイ」に分類し、キョウダイとの結婚を忌避する一方でイトコとの結婚は推奨された。
・成長しても初潮を見ない限り少女の性は「無益無害」であり、大人は関心を持たない。ガメ小屋に若者が訪ねて性的関係を持ったとしてもモラルに反しない。
・初潮を迎えると、キャンプに素早く小屋を建て、3週間隔離される。
・二回目の月経でも同じように隔離される。
・初潮前からいいなずけがいた場合は、小屋から出る朝に、いいなずけと「血を混ぜ合う」儀礼を行った。
・血を混ぜ合う儀礼では、親指の付け根、心臓の上、眉間、腰、背中、臍の下、膝、肘、肩先を切って「血を混ぜ合わせる」。これによって二人は完全に一緒になる。
産後、母子は約3週間、小屋に籠もる。この間、夫は食事も寝るのも別の場所でおこなう。また、母子が産後のお籠もりを解いて日常生活にもどっても、夫婦は子どもが4~5歳になるまで性交渉を持つべきではないとされた。- 112ページ
女は子どもを産むと、長く月経がない。子どもが2~3歳になると、やっと月経が始まる。- 113ページ
・グイ/ガナの夫婦は、子どもを持つと、その最初の子どもの名前で呼ばれるようになる。
通過儀礼(128-167ページ)
(概要)
・彼らは「死」に際しては特別な儀礼は行わない。遺体は、キャンプから少し離れた場所に穴を掘って埋められる。早く忘れることが重要であり、死者の墓を作ることはない。
・定住化に伴って、儀礼が年々省かれる傾向にある。
・少年が初めて狩猟が成功すると、年上の親族たちが上腕部や背中に小さな切り傷を何条にもつけ、何種類もの植物の知ると消し炭の粉を混ぜ合わせた薬を塗りつけて入れ墨を行う。
・子どもが生後2ヶ月ほどたって首がすわってくると、両親の血を子どもに入れる。年長者が両親と子どもの胸、肩先、肘、膝、背中、腰、臍まわりを剃刀で傷つけ、両親の傷口から滲み出る血を子どもの傷口の同じ箇所に塗りつける。
・罠猟の儀礼では狩人の妻が夫の眉間、胸、上腕を剃刀で傷つけ、傷口に植物の根を焼いたものを入れる。かつては頻繁に行われた。
・弓矢猟の儀礼は、剃刀で傷つける方法と、きのこを使う方法がある。
・月経のタブーを破ったことによる夫の不猟への儀礼でも剃刀で傷をつけて薬を塗りこむ。
・グイ/ガナの儀礼はパフォーマンス的要素が少なく、ツォー(薬、治療する)という言葉で表される、日常生活に密着した出来事である。
グイ/ガナの儀礼は、現実を超えた独自の儀礼的世界を築くにいたっていない。彼らの社会には、多くの参加者と聴衆に象徴的世界を提示することも、超越者の存在も必要としないのである。 – 153ページ
社会関係の軋轢と儀礼(168-185ページ)
(概要)
・複数の夫婦が愛人関係を共有する<大きなザーク>関係が始まると、大人たち全員が1ヵ所に尿を溜め、尿の中に「薬木」と<食べ薬>を混ぜる。それから大人全員の両肘、両肩先、胸、背中、腰、臍の下(男性)または臍の両側(女性)、両膝を剃刀で軽く傷つけ血を出す。これを尿と薬木と混ぜ合わせて薬とし、大人と子ども全員の傷口に塗りこむ。
・これには、「ツォリ」という病気の予防という実用性と、性交渉を持った男女の関係をそれぞれの配偶者や家族、親族に公にするという社会的意味がある。
人間の身体は液体で満たされており、個々の人間を繋ぐものもまた、水である。人々は社会関係の「水たまり」に漂っている。婚外性交渉などで繋がった人々に葛藤が生じると、水面は波打ち、ツォリ(汚れ)が拡がる。そこで、人々は儀礼をおこなう。儀礼の焦点は、人と人を繋いでいる「水」、ツォリになった「水」を、実際に人間の身体から出すことにある。儀礼のやり方で「水」を人々が交換することによって、潜在的な世界と実践する世界が一致する。そうすると、波立った水面は以前のように平静になる。 – 185ページ
ザークと民族生殖理論(186-201ページ)
(概要)
・ブッシュマンの別の言語集団であるクンは婚外性関係は非常にまれである。
・グイとガナはもともと利用する土地が異なり、排他的な「テリトリー」は持たないが、まったくその土地を知らない「よそ者」が土地を利用するのは難しかった。
・男の水(精液)は胎児の食べ物だが、夫と愛人が、互いを認め合わないときは「ツォリ(汚れ)」を含んだ毒となり、流産したり、誕生後重い病気にかかったりする。
・夫はザークで生まれた子どもも、自分と妻の間で生まれたこどもも分け隔てなく育てる。
・子どもは訪問先で父親の膝にすわり、父親に供された紅茶などに手を伸ばす。
・男性が父としての確信を持つのは、「ツォリへと変容するような「つながりの物質」ですでに父と子は結びついている」という意識によるもので、利他主義からではない。
グイ/ガナの社会では親による子どもの不要の負担は小さい(田中、1987)。子どもは早くから両親の小屋を出て、ある程度自活しながら人々と暮らすようになる。また、子どもたちには、親の手伝いなど、労働力の期待はほとんどされていない(Draper、1976)、父親は「威厳」でもって子どもたちに命令する必要もなく、その分だけ父親は、限られた期間の子育てを純粋な「楽しみ」「喜び」と捉えているように見受けられた。 – 201ページ
シェアリングの全体像(204-225ページ)
(概要)
・フィッシャーなど多くの人類学者が核家族という経済的に独立した単位が寄り集まって共同体ができると、いわば下からの積み重ねで社会を考える。
・しかし、チンパンジーとヒトの祖先が共通であることを考慮すると、初期人類の社会は、複数の雄と複数の雌で単位集団を構成し、乱婚的であったと創造される。
・ここから特定のペアに性交渉を限定することで人間の社会が成立する。
・これは「所有」の概念である。
・グイ/ガナ語には「夫」「妻」に当たる語がなく「私の男」「私の女」または「所有者」と表現されるだけである。
・チンパンジーの食物分配は「所有」の概念の目生えである。
規則の発生、規範化、規範の中からの制度の発生、制度の明文化、構造化、法の成立などの、いくつものプロセスを経て、現代の人間の社会は秩序を構成し、共存をはかっている。グイ/ガナの社会も、別のシステムを選びえた可能性をかいくぐってシェアリングを機能させてきた。彼らの社会は、移動し、離合集散を繰り返した限りにおいては、堅牢な制度も、永続性を保証する権威も創出する必要がなかったのである。 – 225ページ
おわりに(240-245ページ)
(概要)
・ラクダの遊牧民トゥアレグの調査を2006年から開始
・グイ/ガナにとって儀礼とは、日々の身体の不調や、妬み、悲しみ、怒り、愛憎などの人間関係の問題を解消することを目的とする存在であり、超越的な存在ではない。
・一方で、彼らの儀礼は人間の生命力は何であるかという身体観、生命観を表したものである。
・彼らにとっては、この地上で生きとし生けるものは「水」という力の集合体であり、砂漠に煌く水なのである。
・初潮儀礼からわかったことは、彼らにとって大人になるとは、自分の影響力を自覚することであり、大人になるためには自分の感覚を研ぎ澄ます必要があるということであった。
・これは、子どもから大人への過渡期にだけ、人間界と超自然界の間の通路が開くからである。
狩猟採集民であるサンは、理知的に自然をよく観察し、同時に、人間が獲物を予感し、動物が人間を感じるような超自然の世界を直観して暮らしている。また、雨を降らせ、人の生死を決めるような「神」の存在を信じているにもかかわらず、その神は人間と対等で権威を負っていない。彼らは神を恐れない。 – 242ページ
長い長い時間を超えて、いつくもの選択肢の中から狩猟採集社会を選び続けたセントラル・カラハリ・サンの生活は、グローバリゼーションの真っただ中にいる産業社会を先取りしているようでもある。たとえば、モノや情報がストックからフローへ向かう現代、狩猟採集民から学ぶべきことはないだろうか。
また、神なき社会に生きるグイ/ガナの社会は、以外なほど自制的で、きわめて倫理的であった。グイ/ガナの生活を深く知ることで、人間の生きる道が広がることを信じたい。 – 244-245ページ
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません