昼寝にもってこいの日 2020年4月25日

 

昼ごはんの後、散歩をしてきました。

できるだけ手入れのされていない自然のある場所を探して歩き、水田の間を流れてきた水が新川に流れ込む場所にある、排水機場の脇の土手を選びました。

水鳥たちが集まっていましたが私の出現に驚いて飛び去ってしまい、2羽のカモだけが残りました。土手の草むらに隠れていたスズメたちも飛んでいってしまいました。

浅い水の中を大きなコイ3匹が泳いできてまた泳ぎ去り、対岸の菜の花の間を時折チョウが飛びます。

ずっと続いているのは、近くで工事でもしているのか、機械の音。

目の前の流れは、新川にそそぐ手前でせせらぎとなっていて、音だけ聞いていれば、清流の快感を与えてくれます。道路の下をくぐった先で新川に合流していますが、そこにはいつもたくさんの鳥たちが集まっていて、今日も、鳥たちの争う声が時折聞こえてきていました。

汚く濁った水とはいえ、岸辺の泥の中には、それでも何かエサになる生き物がいるらしく、そんな泥をつつく鳥の姿もありました。

すぐ後ろの歩道を自転車に乗った家族が楽しそうに通りすぎていくのも、良く晴れた今日にふさわしい情景であったことでしょう。

春の温かい日差しも手伝って、土手に寝転んで昼寝をしたいと思えるような時間でした。

 

江戸時代以降の社会の変化を調べてみると、一番大きな変化は、自然が失われていったことなのではないかと思えてきます。

田舎で暮らしていたときは、へビもカエルも当たり前にいましたが、今住んでいる場所では、まったく見かけません。もともといなかったのではなく、川に近いこの場所には、当たり前のようにたくさんのヘビやカエルが住んでいたはずです。それが、いつの間にかいなくなってしまいました。

ヘビやカエルがいなくなるとともに、人はヘビやカエルのことを気にしなくなり、水の汚れにも無頓着になって、鳥の声や水の流れる音を聞きながら過ごす当たり前にあった時間を失ってしまい、それに伴って、暮らしの大部分をむなしさが覆うようになったのではないでしょうか。

命にとって大切なのは、水の音や鳥の声、風の匂い。そんなものだけなのではないでしょうか。

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Posted by toshi