林子平先生の墓(仙台名勝) 宮城県 ― 2018-07-08

林子平先生の墓(仙台名勝)
林子平先生の墓(仙台名勝)

林 子平(はやし しへい、元文3年6月21日(1738年8月6日) – 寛政5年6月21日(1793年7月28日))は、江戸時代後期の経世論家。寛政の三奇人の一人 林子平によると、子平が「海国兵談」を書いてロシア南下の危険を説いたのに対し、幕府は杞憂にすぎないとして、仙台への禁固刑となりいました。しかし、その後、ロシアの往来が頻発し、わずか10年余り後(文化四年・1807年)には北方の択捉島が襲撃され、更に五十年余り後(嘉永六年・1853年)にはペリーが浦賀に来航することになりました。また、剣の達人だったそうです。

宛名面
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