等々力巳吉氏筆 軍事郵便3種 監視哨/夕べの集ひ/盧溝橋事件 ― 2018-07-05-1

監視哨/夕べの集ひ
監視哨/夕べの集ひ
盧溝橋事件/宛名面
盧溝橋事件/宛名面
昭和十二年七月七日夜盧溝橋北方龍王廟
附近ニテ皇軍演習中突如不法ニモ支那軍
ノ発砲を受ク。依テ清水部隊長ハ直チニ
兵ヲ集メテ対応善処セリ。之実ニ今事変
ノ発端ナリ


雨のち晴れの記には、盧溝橋事件は共産党による謀略だったとあります。

1937年7月8日、つまり、「盧溝橋事件」発生の翌日、支那共産党は「対日全面抗戦」を呼び掛けているのです。これは、どう見ても、お膳立てが良すぎます。まるで、「盧溝橋事件」が起きる事を知っていたかの様な手際の良さです。と言うよりも、間違いなく共産党は、事件が起きる事を知っていました。それは、何故か? 実は、「盧溝橋事件」は何を隠そう、共産党による「謀略」だったからです。つまり、共産党の工作員が夜陰に乗じて、盧溝橋付近に駐屯していた日本軍・国民党軍双方に発砲し、両軍が交戦する様にし向けたのです。その証拠に、共産党軍の兵士向けのパンフレットには、

「盧溝橋事件は我が優秀なる劉少奇 同志(後の国家主席)の指示によって行われたものである」

とはっきりと記述されていました。