(隠岐)県社 焼火神社 戦前絵葉書

(隠岐)県社 焼火神社
(隠岐)県社 焼火神社
TAKUHI SHRINE ON THE OKI ISLAND
隠岐の両帝御信仰厚く開場の社宝多く所蔵さる
 
宛名面
宛名面
 
両帝とは、隠岐に島流しになった後鳥羽天皇(1180年8月6日〈治承4年7月14日〉- 1239年3月28日〈延応元年2月22日〉)と後醍醐天皇(1288年11月26日〈正応元年11月2日〉 – 1339年9月19日〈延元4年/暦応2年8月16日〉)ですね。
 
LINEトラベルに「島根県・西ノ島 火の玉伝説の残る隠岐最古の「焼火神社」」という記事があります。
10世紀頃、知夫里島と西ノ島の間の海上から浮かび上がった3つの火の玉が菩薩の形をした岩に入り、そこに社殿を設け崇めるようになったのが焼火神社の起源とされています。ご祭神は大日霊貴尊(おおひるめむちのみこと)です。
13世紀になり、隠岐に流刑となった後鳥羽上皇が海で遭難した時、やはり海中から火の玉が現れ焼火山の西麓まで船を誘導し、無事にたどり着くことができました。そこで後後鳥羽上皇は祠を建て、山を「焼火山」、寺を「雲上寺」と称するようになりました。
神社とお寺、両方の役割を持っていましたが、明治の神仏判然令で焼火神社となりました。
 
県社は、旧制度の神社の社格の一つで、官・国幣社より下、郷社(ごうしゃ)より上で、県から奉幣した神社です。
 
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