塩釜甚句踊(ハツトセ)2枚 戦前絵葉書 2番と3番

塩釜甚句踊(ハツトセ) 2番
塩釜甚句踊(ハツトセ) 2番
塩釜出る時や 大てんふりよ
奏社の宮から アリヤ 胸勘定 ハツトセ ゝ
 
宛名面
宛名面
 
塩釜甚句踊(ハツトセ) 3番
塩釜甚句踊(ハツトセ) 3番
サーサ ヤッコラサと のり出すふねは
命帆をかけ アリヤ 浪まくら ハツトセ ゝ
 
宛名面
宛名面
 
文化の港シオーモに塩釜甚句の歴史や歌詞が掲載されています。
以下に歌詞を引用します。
塩釜 ハットセ 
街道に 白菊植えて ハットセ
何を聞く聞く アリヤ 便り聞く
ハ ハ ハットセ
塩釜出る時や 大手振りよ
総社の宮から 胸勘定
千賀の浦風 身にしみじみと
語り合う夜の 友千鳥
さあさ やっこらさと 乗り出す船は
命帆にかけ 浪枕
末の松山 末かけまくも
神のはじめし 海の幸
絵葉書は2番と3番に該当します。
また、歴史については次のようにあります。古い歴史があるようです。
その由来は、四代藩主綱村(はんしゅつなむら)が元禄(げんろく)8年(1695年)に、鹽竈神社造替に着手し、宝永(ほうえい)元年(1704年)に落成を祝って、文人粋(すい)客らに歌謡を作らせ、これに当時海岸地方で流行していた「アイヤ節」の歌曲を変曲して、塩竈の芸妓に謡(うた)わしめたことに始まるといわれています。
 
奏社とあるのは、多賀城市の陸奥総社宮と思われます。
 
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