203高地占領後、当初の計画どおりにロシア海軍第一太平洋艦隊(旅順艦隊)への砲撃が強化され、
戦艦ペレスヴェート、
戦艦レトウィザン、
戦艦ポベーダ、
巡洋艦パルラーダなどが次々に沈没、自沈、航行不能などに陥っていきました。 12月22日には、日本海軍
連合艦隊から
大本営に対し、
旅順港内のロシア艦隊が全滅したとの報告がなされています(
関連資料7)。一方で、他の要地のロシア軍に対する攻撃も順次進められ、1905年(明治38年)の元旦が明けるころには、東鶏冠山、二龍山、松樹山の砲台の占領が完了しました(
関連資料8)。
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