「済州島古代文化の謎」1984/10/1 宋 錫範 (著) 206ページ 成甲書房

東アジアの複雑な歴史を象徴するような、大阪府ほどの大きさの島、済州島の古代文化を、島にルーツを持つ著者が探る

弥生時代の直前に当たる春秋時代(紀元前8―同5世紀)から前漢時代にかけての江蘇省の人骨と、渡来系弥生人(倭人)の人骨で、DNAが一致したことにより、倭人の故地は中国江蘇省あたりであった可能性が高まりました。これらの倭人たちは、日本列島だけでなく朝鮮半島南部にも渡り、任那日本府まで続く倭人の地を作っていたかもしれません。であれば、九州と朝鮮半島の中間に位置する済州島にもその痕跡が残されているのではないだろうか。このような興味から本書を読みました。

本書の著者は、日本で生まれ育ち、父母の故郷である済州島に戻った元教師です。教職の傍らで考古学の徒として済州島のさまざまな遺跡を調査したり、生徒たちの協力を得ながら未発見の遺跡を探ったりという活動を続けてきました。

済州島の古代文化については、わからない部分が多く、本書でも単に可能性を探るだけになっています。その意味では、Wikipediaの済州島の項にある記載内容に簡潔にまとめられている以上の発見はありません。けれど、済州島の地理的条件や、気候、現代の生活、方言、地名などを紹介しながら、どのような人びとが住み、どのような文化が展開されていたのかを探る形になっているため、付随的な内容を多く知ることができます。終わりに済州島の12景も紹介されています。

古くから残ると思われ、一部では沖縄の御嶽との共通性を指摘する人のある原始宗教シンバン、海女の盛んな土地でありながら、耕地の豊富な日本とは違って、海女への依存度の高さがあったこと。他方では、朝鮮半島を南下してきた騎馬民族の影響を思わせる古代の辮髪の習慣や、火山島で水が少ないことからか、元に征服された時代には馬の放牧場が作られていたことなどが取り上げられています。仮に稲作民である倭人がこの島に来たとしても、稲作を続けることは難しかったようです。考古学的視点としては、支石墓、貝塚、ドルメンが取り上げられています。

建国神話によれば、最初の王女たちは日本と思われる国から流れついています。日本書記にも、天智天皇のとき古代済州島の耽羅国の使者の求めに応じて五穀の種子を与えたという記述があるそうです。けれど、天武天皇の時には、国内外の事情によって耽羅の使者の入朝を拒否したとあり、古代の済州島が倭人の国であったということはなさそうです。また、177ページに1行記述されているだけですが耽羅では、読解できない行文字が使用されていたとあります。

その他、民謡、方言の具体例、伝説など、なかなか興味深く、時代とともに失われていく内容も多く含まれているので、これらの方面に興味のある方にとっては貴重な本といえそうです。