全国マン・チン分布考 (インターナショナル新書) 新書 – 2018/10/5 松本 修 (著) 集英社インターナショナル

2019年7月28日

『日本の伝統文化を守り、京都発の科学技術、人文科学と芸術の進展を祝う会』で、人々が歌った、それぞれの地域の女陰語を歌った歌を、日本人みんなで歌いたい

すでにいくつもこの本の書評が書かれているので、重複する部分もあるかと思いますが、どうぞお付き合いください。
著者の松本氏はテレビ・プロデューサーで、関西人にはおなじみの『探偵ナイトスクープ』で、探偵団が所長に報告するというフォーマットを考えた人でもあります。『全国アホ・バカ分布考』の著者でもあり、ナイトスクープに寄せられた、日本全国の女陰語を調べて欲しいという相談が、テレビという媒体の限界によってお蔵入りになったことから、相談の時点からはずいぶん長い年月が経ちましたが、この本が生まれています。
面白半分に作られた本ではなく、幅広い人脈を生かして、多くの資料をあたり、根拠を示しながら考察してある、まじめで熱のこもった本でもあります。『全国アホ・バカ分布考』での成果は、『日本国語大辞典』の第2版に採用されています。「馬鹿」の語源を白居易が「秦中吟」「新楽府」で風刺した、驕り高ぶって落ちぶれた高官の豪邸「馬家宅」の「馬家」からとする松本氏の説は、8番目の説として挙げてあります。さらに「阿呆」は中国江南地方で「おばかさん」を意味する「アータイ(阿呆)」から来ているとする説は6つの語源説の最初に収録されています。
こうして男根と女陰の分布とそれぞれの語源を調べていくことで、松本氏が見せてくれるのは、男根をマラとしたのは僧の修行を惑わせる存在だからなどというとらえ方の浅はかさであり、女陰語を隠してしまうことの馬鹿らしさ、悲しさでした。
男根語と女陰語には、子どもを慈しみ、性のいとなみの大切さや当たり前さを前提としていた、日本人の心が表されていました。こうした価値観が表現されたこの本は、『逝きし世の面影』と同じく、日本に生まれた私たちがぜひ読んでおきたい本の一冊であるといえます。
 
■内容の紹介
春画と日本の女性

石上さんの素早いご手配によって、翌週、京・嵯峨野の閑静な住宅街に、早川聞多先生を訪 ねることができました。先生は、全国に埋もれていた春画・艷本を見つけ出し、日文研に蒐集 したプロジエクトのリーダーでした。私は訴えました。
「西川祐信や月岡雪鼎ら上方の作者の原典は、日文研のデータべースからダウンロードさせて いただいて、親しい日本語学者・郡千寿子さんに頼み込んで読んでもらっていますが、『オマンコ』は見つかっていません。石上先生も『見た記憶が一度もないjと言っておられます」
「たしかに『オマンコは、江戸では一八ニ〇年代以降よく登場しますが、私もまた、上方の 春画・艷本の中に『オマンコを見たことがありません」
早川先生はそうおつしやつたあと、
「しかし遠い記憶ですが、田植歌、神楽歌の中に『マンコが出てきたと思います。奈良の神楽歌なんかに。ほかに、近世初期の歌謡の中にも出てきた気がします。残念ながら今、そうし た資料はすべて手元にありません」
やはり周圏論に誤りはなかったようです。自分でも確認せねばならぬ。
早川先生によれば、徳川時代、春画・艶本は貸本屋で借りるもの。貸本屋は、江戸に一〇〇〇軒、京に五〇〇軒もあって、男ばかりでなく女性もよく借りにいった。女性も子供もケラケラ笑って楽しんだのだ。だからこそ春画は「笑い絵」と呼ばれた。奥さん、娘、女中など女性が喜んでよく借りた、ということでした。何というおおらかさでしよう。私は問いました。
「数年前、先生方がプロデュースされた春画展がロンドンで開催されました。国内の美術館でも、あちこちで春画展が開かれて盛況と伺います。見学者には女性が多かったとか?」 「そうです。京都でも、東京でも、見学者の六〇から六五パーセントは女性です」
春画には、現代のAVと違って、女性を男の性の具として扱って貶める発想などはまったくありません。春画の女性は、のびのびと幸せそぅに性の快楽に浸っています。その自由で麗しく幸せそぅな感覚が、現代女性の心にも伝わるのでしょう。
「昔から日本の女性は、性にも大らかで積極的でした。『古事記』からして、ィザナギを誘うのは女神イザナミです。『源氏物語』の女性の歌にしても半分以上はエロチックなものです。 これらは日本文化の隠れた特徴です。日本には、性の世界に男尊女卑の思想はなかったのです」
と先生の貴重な講義は続きます。 「ジャポニスムという芸術活動は、浮世絵から影響を受けたと言われていますが、じつはいちばん影響を受けたのは、春画なのです」(282-283ページ)
人々を愚かにする3S(Screen(映画)、Sport(プロスポーツ観戦)、Sex(性産業))が成り立つのは、日々の暮らしに満足する本来の在り方から人々を遠ざけて、有名人にあこがれさせたり、性をタブー視させたりすることができるからなのではないでしょうか。この本では、日本人が西洋文化に打ちのめされた結果

が「オマタ」といった貧困な精神の産物である女陰語を生んだとしています。けれど、実際には愚民化政策の一環として女陰語を放送禁止用語にするような統制が下されているのではないでしょうか。