ツキノワグマと暮らして (ちくまプリマーブックス) 単行本 – 1989/7 宮沢 正義 (著) 、筑摩書房

肺結核を患う中で出会った野生のツキノワグマ。ツキノワグマ絶滅を危惧して、昭和46年から会社勤めや子育てと並行して10頭のツキノワクマを飼った市井の人である著者が、その経緯と経験を綴る


先日、ハイキングのできる、家から車で1時間ほどの山へ一人で行き、黒い動物2匹と遭遇しました。30メートルほどの距離があり、ほんの数秒間しか見えなかったので、正体はわかりませんでしたが、聞き覚えのない鳴き声からツキノワグマかもしれないと仰天したものです。(帰ってから調べてみたところ、どうやら黒めのニホンカモシカの親子だったとわかりました。)
 
さて、この本の著者である宮沢さんは、昭和19年のまだ18歳のとき、結核の療養に訪れた万座温泉の山で、ツキノワグマを観察するための足場を樹上に組んで、泊りがけで観察したという強者です。回数は多くなかったようですが、実際にクマを目撃でき、鳴き声についての発見なども記されています。
すっかり結核も治り、結婚、会社勤め、子育てに忙しい中で、年々数を減らしていると思われるツキノワグマの将来を危惧して、自分なりにできることをしたい、もっとよく知りたいと、家族を説得し、父親から受け付いだ庭のリンゴと敷地を利用して、数年の間に10頭ものツキノワグマを国内各地の動物園などから譲り受けて飼育を開始したのでした。
 
飼育施設の様子などは、文章による記述しかないためいまいちイメージがわきません。クマたちは狭い個室を与えられつつ、隣のクマと接触できるような形で飼われており、ストレスは少ない状態であったようです。ただ、火を通した食べ物を与えたために虫歯になることも多かったとあります。クマの育つ様子についての記述はそれほど多くありません。
 
10年経った頃、宮沢さんが仕事で骨盤を骨折したために、別に仕事を持っていた妻に世話を委ねるしかない中、妻の疲労の濃い様子から残っていた4頭のクマを処分するしかないと思い詰めたこともありました。しかし、遠方の大学にいっていた子どもたちが日曜日ごとに交代で帰って世話をしてくれるなどの協力もあり、処分を思いとどまることができました。
 
終わり近くの50ページほどは、「クマを飼ってわかったこと」に当てられています。現代では遺伝子検査によっても裏付けられている東と西のクマの違いや、鳴き声の種類、鳴き声に方言のないこと、噛み方の種類などが記されています。それでなくとも大変な冬眠中に出産する理由の考察には、なるほどと思いました。
飼育下のクマたちは、野生のクマと比べると睾丸や卵巣の発達が悪いようです。日光に当たる量が影響していると推測してあります。人間の精子の減少にも、同じような理由があるのかもしれません。
 
この本に登場するツキノワグマは、人に慣れて甘噛みしたり、一緒に育った姉妹の死に深い悲しみを表したりと、猛獣であることを忘れさせます。
 

内容の紹介

冬ごもり中の出産について

まず出産の時期であるが、ほかの動物のように四、五月とすれば、交尾と妊娠は一〇月から一一月となる。ところがこの時期はわきめもふらずに食いだめに精を出さなければならない。それなのに交尾にうつつをぬかしていたら、「冬ごもり」に必要な栄養をたくわえることができないだろう。
つぎに、もし四、五月に出産したとしたらどうなるか。たった三〇〇グラムの目も開いていない赤んぼうは、とても自分で餌をとることはできない。いっぽう母親は冬ごもりが終るので必死になって自分の栄養を補給しなければならない。小さい赤んぼうのめんどうを見ることまではできないのではないだろうか。
生まれてくる赤んぼうが小さいのは、母グマの冬ごもりに関係があると思う。冬ごも り中はいっさい食事をとらないから、できるだけエネルギーを使わないようにしている はずだ。ッキノヮグマの研究家、高橋喜平さんの調査によれば、冬ごもり中の呼吸数は 1分間に三、四回と書いてある。わたしも越路が「冬ごもり」に入ったばかりのときに 計ってみたら呼吸は二八秒から三四秒に一回、つまり一分間に約二回、心臓の鼓動は一分間にニ〇~ニ四回であった。ただし越路の冬ごもりは、隣部屋の磯部がチョッカイを出すので安眠できず、一週間で終ってしまったことを、おことわりしなければならない。
冬ごもり中のクマの体温も、ある学者の調べたところでは一五・一度(平熱は三七度前後)だったという。
呼吸数が少ないと体内へ取り入れる酸素の量が少なくなるから、体内でのエネルギー代謝をはじめ、さまざまな生理作用が低下することになる。もちろん体温も一五・一度というように平熱の半分以下になるから、胎児の成長環境も危険だろうし、母親自身の生命を維持することがやっとではないだろうか。このためクマの赤んぼうは冬ごもり中の母親の負担にならないような小さい未熟児の姿で生まれてくる……というように考えていくと、今まで生きのびてきた生物たちが、いかにその生理や習性をたくみに自然の環境に適応させてきたかに驚嘆する。しかし、冬ごもりの生理的メカニズムと胎児の微成長のしくみは謎として残った。(158~159ページ)

食糧事情から冬ごもりをするとすれば、この冬ごもり中にごく小さい子を産んで育てるのが、一番理にかなっていることになりそうです。
 
冬眠中の体について

いちばん不思議なのは、野生のクマは冬ごもりに入ると、食物も水もロにしないだけでなく、大小便の排泄をしないことだ。食物をとらなくても食いだめの備蓄栄養があるから困らないことはわかる。けれども水も飲ます、大小便も排泄しないとなると、首をひねらないわけにはいかない。ある動物園の産室で出産したクマは、給水施設と遮断されたまま春まですごした例がある。
哺乳動物はロから食べた物で体を作り、体温を維持し、運動のHネルギーをまかなう。哺乳動物が必要な栄養のうち、炭水化物や脂肪は分解消費されると最終的には水と二酸化炭素(炭酸ガス)になって肺から体外へ捨てられる。いっぽうタンパク質が分解されて出てくる窒素化合物は、血液中に長くためておけない毒物なので、腎臓でこしとられて尿となって排泄される。腎臓が働かなくなると尿毒症を起こして死を招くことはみなさんもごぞんじだろう。
ところが冬ごもりのクマは四力月近くも水を飲まず、おしっこもしないで生命を保ち 続ける。また妊娠した雌グマは自分の生命だけでなく、胎児を育て、一月下旬ごろ出産し、赤ちゃんに栄養を与える。そして四月に入ると体力的にゆとりを残して巣穴から出てくるのだ。まったく驚異としか言いょうがない。
そこでわたしは自分がおこなった解剖所見からこの謎ときに挑戦してみょうと思う。
まず、冬ごもり中のクマの膀胱には一滴の尿もなく、したがって腎臓が血液から尿をこしとる働きをしていないことは前に述べた。しかし冬ごもり中といえども生命を維持している以上、クマの体内では代謝がおこなわれ、いろいろな老廃物が作られないはずはない。ではとくに有害な窒素化合物はどのょうに処理しているのだろうか。
わたしは、肝臓が腎臓のはたらきも引き受けているのではないかと思う。
肝臓は「沈黙の臓器」といわれ、わたしたち人間でさえ自覚することは少ないが、じつは体内の物質の分解、合成、解毒という非常に大事な仕事を黙々とおこなっている。クマの肝臓もおなじはたらきをしているはずだが、そのほかに、冬ごもり中は重大なはたらきを引き受けていると考えたい。
つまり本来ならば体の外へ捨てなければならない窒素化合物や無機塩類など、血液が集めてきた老廃物を肝臓が一手に引き受け、有益な物質に作り変えて胆嚢へ送る。胆嚢は肝臓から送られてきた物質を濃縮して保管し、長い冬明けを待つ。だから、俗に「クマの胆」といわれるクマの胆嚢は、冬ごもりの終りごろに最大になる。
つぎに冬ごもり中のクマの体が平常時と違う点は、体内の血液の総量(人間の場合は体重の一三分の一くらい)が、ある程度少ないのではないかと思う。というのはノンちゃんを解剖したときの内臓の色具合から、肺、心臓、肝臓、脾臓以外は休業状態にあると考えられるからだ。
肺や心臓は働いてはいるが、一分間に約二回の呼吸数、一分間にニ〇~ニ四回の心臓の鼓動数からみて、活動時よりはかなり緩慢な動きと見なければならない。当然使われる血液量も少なくてすむわけである。
脾臓はふだん消化液を出すほかに、ィンシュリンとグルカゴンを分泌して血液内の糖分を調節する役目がある。しかし冬ごもり中のクマの消化器官はほとんど休業しているようだから、糖分の調節をおもに引き受けているのではないだろうか。

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/3828/ を読むと、アメリカクロクマでは体温は比較的高く保たれるようです。ただし、冬眠中の体の仕組みについてはまだよくわかっていません。