「山の仕事、山の暮らし」高桑信一 (著)(つり人社 2002年12月)
山の仕事は多様だ。山岳救助隊、山小屋経営、登山ガイド、ユリの栽培、天然氷の製造。ぜんまいとり、狩猟、サンショウウオとり。養蜂、峠の茶屋、ウルシカキ、炭焼き。山は厳しく、山は自由だ。
会社勤めの合間に山に登り、沢登りという日本独特の登山スタイルを確立した登山家でもある著者は、山を仕事の場とする人々への取材を重ねながら、年2回の記事を雑誌つり人の別冊「渓流」に発表していった。
著者の取材した山々は、富山・埼玉から岩手におよぶ、大まかにいえば、かつてまたぎたちが沢の岩魚をつりながら猟を重ねた山々と重なっている。著者の出身はまたぎのふるさと、秋田である。
ぜんまいとりや狩猟に暮らす人々の様子は、北方からこの列島に渡ってきたといわれる古い時代の人々の暮らしを思わせる。なぐさみにとる山菜とは違い、かつては生業の一つとして、山に泊りこんで行われていたぜんまいとりは、1日70キロを採ったという。それほど大量の山菜を採取しても、むやみに採らなければ、翌年もまた恵みをもたらしてくれる山の豊かさである。
多くの仕事が先細りになり、消えようとする中、重機を使って新しい畑を作りながら進められるユリの栽培や、ブランド化やメープル シロップの取り扱いを始めた養蜂は、規模を拡大している。
かつては生業として成立した山の仕事が生業とならなくなる背景に着目すれば、太平洋の小さな島や、カラハリ砂漠で営まれていた自立した暮らしが、グローバル経済に依存しなければ成り立たなくなることと同じ構造が見えてくる。
山に生きる人々は、死が身近にあることを感じ、身体を使い、頭を使って生きている。山の暮らしの大変さを嘆きながら、山暮らしの自由きままさや、素晴らしい景色に囲まれた毎日を愛していることが伝わってくる。
さまざまな仕事に対応してさまざまな道具が生まれたことを知り、山人たちの意外に人好きな様子も伝わってくる。著者は「おわりに」にこう記している。
文明の発達にともなって、これからも人間はますます山を捨て、保全や管理と称して、機械力で自然を意のままにしようとするだろう。けれどいつかは知らず、科学の最先端を希求するひとびとが増えるにつれて、二極分化のようにして原生の森を生活の糧として見直さなくてはならない時代が必ずくる、と私は固く信じている。
科学の最先端がもたらす大規模な社会は、山の恵みを糧とする小さな社会にあった自由を奪っていく。死を遠ざける暮らしは生の輝きも奪う。
追記:多くの本を出版されており、どれも、自然の中での暮らしに重宝しそうな本ばかりですので、少し他の本も読んでみたいと思っています。
内容の紹介
ひとと自然は対等ではない。共存しているのでもない。自然があって、はじめてひとは存在する。ひとは自然によって生かされているのである。 – 17ページ
ひとが夢を実現できる世界は、ひとが自然を抜けだそうとして、失敗し、徹底的に敗北する世界になりそうです。
文明が発達するほど、私たちは自然のなかから生まれた出たという基盤を忘れてはならない。ひとびとが自然を見失いかけているいま、山とひととが暮らしのなかで付き合っていくことが、どんなに豊かなことか。 – 134ページ
人工的な環境に囲まれて、脳が生み出す情報ばかりに接していると、私たちは文明の支配者が好む、経済活動ばかりに終始する存在になり、その結果、実感を失っていきます。
「俺、思うんだけどさ、クマ捕って喰ったのも、アオ(カモシカ)捕って喰ったのも、俺たちの食文化なんだよ。クマが減って、アオがこんだけ増えたんだから、クマを禁漁にしてアオを解禁にしてもいいんじゃねえんかい。 – 139-140ページ
私は国家という大きな単位で管理するよりも、自然と密着した生き方をしながら、小さな地域内を地域独自で維持する方法のほうが優れていると見ています。これもその一例かもしれないと感じました。
無為徒食で、蜂に喰わせてもらっている、と冗談混じりに語る松本だが、養蜂にかける情熱が、次々と言葉を紡ぎ出していく。
「リョウブの花なら、春のこの時期にも咲きますが、蜂はあまり喜ばない。それが、夏の標高の高いところになると、リョウブの花に真先に飛んでいくんです」
それは受粉効率の差ではないか、と彼は推測する。蜜蜂の嗜好の差ではなく、標高が高く、条件の悪い山に咲くリョウブは、里の花より蜜を多く出して蜂を呼ぶ、というのである。
蜂が勝手に蜜を採っているように見えて、実は花が蜂を自在に操っている、という花と蜂の共存は、花を求めてブナの森をめぐる松本にしてはじめて目にできる、自然の営みだろう。 – 174-175ページ
生物は物質的です。
「いまのひとたちに話しても、話だけでは信じてもらえんようですが、まるで釣り堀のようでした。浮いているのも、沈んでるのもいて、淵のなかが岩名でまっ黒に見えるほどで。それがもう、最近はめっきり少なくなってしまって」 – 218ページ
私も子どもの頃、生物に溢れていた昔の同じような話を聞きました。
唄もまたひとつの輪廻である。登攀者にとって死は遠い存在ではない。生と死が寄り添えば寄り添うほど、充足と充実は濃密に光を放ち、かぎりない華やぎをともなって若者たちを急がせる。 – 259ページ
「アルピニズムと死」
(注:谷川岳の遭難救助で300人近い死者を背負い下ろした馬場さんの話)
それだけ多くの遭難者を背負うと、死というものへの考え方が変わりませんか、と馬場に問うた。無感覚になるか、無常感を覚えるか、あるいは宗教というものにまで思いが至るかと疑ったのだ。
「べつにそんなこともないですね。仕事だって割り切んないとやっていけないです。馴れですよ。もっとも、馴れても手は抜きませんけどね」 – 268ページ
死を重大視しすぎると、誤った方向に進んでいってしまうと私は受けとめるようになりました。
(注:冬の山小屋管理について)
「冬の行動は、なにをするにもふたり一緒が原則です。スケジュールはまったくありません。山の変化に気づくことです。張りつめてもいけないし、ぼーっとしていても駄目です。無理をしないことですね。根をつめないぐらいがちょうどいい。そのほうが長続きするし、はかどりますね」
いまでこそ、余裕をもってそう語る谷川だが、一年目の彼に、理屈でわかっても冬の山小屋の生活が理解できるはずがなかった。
極限の生活は、本能的な自己防衛作用を生む。それは人間の弱さである。自我が出るし弱気にもなる。いやでも自分と向き合わざるを得ない。なにをするにも、ふたりの同時の行動が鉄則だが、三ヶ月以上にわたると、ときにそれが苦痛をともないかねない。 – 284ページ
(注:山で写真を撮り始めて)
「一年目は何も見えませんでした。当然ですが、巧くならないんです。これはいいと思って撮っても、でき上がったものを見ると、青い空と白い山が写っているだけなんですよ」
そんなとき、ある本で冬の語源を記した文に出合う。冬は生きるものや魂が殖える季節、『殖』だというのである。冬には特別な力がある。冬は生命の再生を導くためのものなのだ。冬によって繰り返される死の堆積が、新しい季節の生命を生む。 – 288ページ
冬の閉ざされた山小屋での暮らしからいろいろなことが見えてきます。
東北地方は縄文が花開いた地である。それはそのままブナ帯文化に重ね合わされる。弥生の発祥をになう西日本にも縄文の遺跡はあるが、植生が照葉樹林に変化していったために、その数は東日本に比して圧倒的に少ない。ブナやクリやトチに代表される広葉樹の森の恵みは、狩猟採集を常とする縄文の民にとって欠かせないものだった。そして東北北部は、縄文の一大宝庫と呼んでいい地であった。 – 323ページ
照葉樹林と落葉広葉樹林という2つの要素について調べてみたく思いました。
田舎暮らしのための情報誌が売れているらしい。七、八誌もあるだろうか。出版業界に吹く不況の嵐のなかで、順調に部数を伸ばしているのは驚異的といってよい。しかし売れているのは、田舎暮らしをするひとが増えているからでは決してない。情報誌に求めるのは夢にすぎないからだ。つまり売れている部数の数だけ、田舎で暮らしてみたいひとがいることになるが、田舎暮らしを実現させるのは、実はそれほど簡単ではない。 – 346ページ
私の実家は、人口密度40人ほどのに山村です。割と多くの人が都会から移住して田舎暮らしを実現しています。逆に、多くの地元の若者は都会に家を作り、田舎に通っています。
(42歳で退職奨励制度に応募して会社を辞め、山形に移住して地元の親父さんから学び山を仕事場にした関さん)
関はシーズンに百キロのマイタケを採る。ゼンマイ採りと小屋番の収入を合わせても、関の年間所得は会社勤めのころの水準に、はるかにおよばない。だが、自分の理想に従ってシンプルに生きる関にとっては、必要にして十分な収入なのだ。車もなく、テレビもない。あとは暮らしに必要な費用と、好きな酒と、ショートピースを買う金があればいい。家を建てるために使ったほかは、退職金も手つかずで残っている。 – 364ページ
文明社会を牢獄とも知らない人々は彼の生き方を否定的にとらえるだろうが、文明の支配者が登場して以来、私たちの人生は支配たちによって乗っ取られていると気づいてみれば、彼のような生き方こそが本物であるとわかるのです。
(注:狩猟者の大半は地元民ではなく都市部から来る人々なのだが、地元の猟師を中心にグループを作って行動する、そしてよく怒鳴られることになる)
それだけ怒鳴られてもハンターたちが九蔵のもとを離れないのは、九蔵の飾らない人柄もさておきながら、その圧倒的な経験に裏打ちされた技に惹かれるからだ。九蔵に学ぶのが上達の早道なのである。事実、大物猟をはじめて十年になりながら、いまだ一発も鳴らした(発砲した)ことのないハンターがいるという。姿すら見ることもできないからだ。獲物の習性を知らず、見切りの方法も知らず、ただ週末に出かけてきて山に入るだけで獲物が獲れるほど、大物猟は甘くない。 – 374ページ
狩猟採集の暮らしを続けていたとき、人はどれほど知恵を使っていたのかを知ります。
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