「アーロン収容所―西欧ヒューマニズムの限界」会田雄次 (著)(中央公論車 1962年11月)

アーロン収容所―西欧ヒューマニズムの限界 (1962年)仏教とキリスト教の違い、牧畜や屠殺が与える心理的影響、ビルマまで遠征した日本軍に対する現地の反応、捕虜となってもしたたかを持っていた日本人兵士たち。この本は、読み継がれる価値がある。

→目次など

 

ビルマの前線で終戦を迎え、捕虜となり、復員までの2年間を収容所で過ごした著者。自らが体験したことだけを記したという本書には、表題となっている西洋ヒューマニズムの限界に限らない、多面的な要素が詰め込まれています。

たとえば、肉体を離れた精神や魂に重きを置き、神の理想を実現できるとみなすキリスト的な生き方と、あくまでも身体性を前提としながら生きる悲しみを知る仏教的な生き方の違いを読み取ることができます。前者は国家の正義を簡単に否定するなと語るイギリス人として、後者は絶望の中で諸行無常を伝えるビルマ人として描かれています。

美談を語るわけでもなければ悲惨さを強調するのでもなく、一歩間違えば警備のグルカ兵に射殺されるような状況下にあっても、捕虜たちは本来手に入るはずのないさまざまな物資を巧みに手に入れ、定期的に劇を上演するまでになりました。

気に食わないイギリス人たちに仕返しをするために、運搬を命じられた物資が使い物にならなくなるように細工をしておいたりもします。私はこの本を読んで、日本人がもともとそうしたふてぶてしさを持っていることを思い出しました。

芥川龍之介の『羅生門』を思い出させるような場面もあります。しかし、だからといって、羅生門に描かれたような衝撃はありません。むしろ、淡々とした印象が伝わってきます。死を大仰に描くあり方とは違い、この世界に生と死が溢れていることが当たり前であることを教えているようにも思えます。

アジアの人びとにとって、同じアジアの日本が欧米と闘うことはどういうことであったのかを 、兵士としてビルマの庶民と直接言葉を交わした記述を通じて知ることもできました。ヒューマニズムに限界を持つ西洋人たちによる支配をアジア人はどれほど嫌ったのか。もし、日本軍に対する期待が幻想であったとしても、仏の憐みを持つことを知るアジアの同胞に期待せざるを得ない事情は伝わってきました。

偶然入手して興味を持ち読んだ本でしたが、改定版や文庫本も出て、今も新品で入手できる読み継がれている本と知りました。もっと早く読んでおきたかった一冊です。

内容の紹介

アーロン収容所 西欧ヒューマニズムの限界 会田雄次著 中公新書に多くの引用があります。