「センス・オブ・ワンダーを探して ~生命のささやきに耳を澄ます~」 福岡 伸一 阿川 佐和子(大和書房 2011年10月)

こども時代の大切さ

最近、福岡さんの講演の様子がYouTubeにアップされていたり、書店で福岡さんの本が推薦本として並べられているのを見て、どんな人なんだろうと気になっていました。
この本は、図書館に並んでいるのを見かけ、阿川さんとの対談ということで読んでみました。

本書では、たくさんの本が登場し、福岡さんの著書もたくさん紹介してあり、どれも面白そうです(ただし、私の中での読む本としての優先順位は高くありません)。

特に、福岡さんの愛読書であり、生物学に進むきっかけになったという『ドリトル先生航海記』は、私にとっても人生で初めて読んだ本格的な本でもあり、 何度も読み返した本でもあったので、すごく共感できました。何よりも共感できた点は、こどもの頃の経験が一生残り続けていくというお二人に共通する認識です。 年齢を重ねれば重ねるほど、私もこのことを痛感します。そして、身近な自然の失われた場所で育つ今のこどもたちの不幸を強く感じます。

内容の紹介

阿川 思い出しました!ハカセの『生物と無生物のあいだ』に、うんちは何で構成されているか、食べた物だけが出たんじゃないって書いてあったのを。
福岡 そうです。食べた物のカスも出てくるんだけれども、うんちの半分以上は腸内細菌の死骸。残りの半分は自分の消化管の細胞の死骸、これがどんどんはがれ落ちてくる。 -69ページ

自分の体に腸内細菌が大量に棲んでいて、毎日死骸が大量に出てくるなんてすごいですね。宿便を出すとよいということと関係しているかもしれませんね。

阿川 生命観として・・・・・・?
福岡 昔、そういう説を読んだんですけど、そんなに重要なことだとは思っていなかった。でも、この実験を目の当たりにして思い出したんです。ある人が「生命は機械なんかじゃありませんよ、もっと流れ流れているダイナミックなものです」と言っていたのを。それが私が『生物と無生物のあいだ』という本で紹介した、我がアンサング・ヒーロー、ルドルフ・シェーンハイマーさんなんですよ。私は、彼は地球が回っているという二十世紀最大の発見をしたコペルニクスに匹敵するぐらいすごいと思うんですけれども、今でもシェーンハイマーさんの名前は普通の教科書だったら一行も載っていません。私は彼の写真一枚を探すのもものすごく苦労しました。 -83-84ページ

GP2遺伝子に関する実験の箇所です。千島学説同様、現在の学問や医学界、製薬業界にとって都合の悪い事実は不当に軽視されていると感じます。

阿川 なんてこった。逆に好ましくないほうに行っちゃうんですね。
福岡 実はこれはすべての薬に言えることなんです。どんな薬でもその場は症状をやわらげるけど、動的平衡はその薬に対抗しようとして、体より症状が重くなる方向に動いている。だから、できれば機械論的介入をする薬は飲まないほういい。 -105ページ

花粉症を含め、症状を和らげるだけの機械論的介入をする薬を使用すると、体は動的平衡を保つためにより花粉症の症状が激しくなる方向へ変化してしまうというお話。

阿川 ハカセのお話を伺っていると、私はやはりバージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』なんだなと思いますね。この絵本は、ちいさいおうちが緑に囲まれたところでのんびり幸せに暮らしていたら、周りにどんどん家やビルが建ち、電車が通り、道路ができて車が走り、都会になって便利になったけれど、息が詰まりそうになって田舎に引っ越してホッとするお話で。
 日本も資本主義が世の中を豊かに楽しくしてくれて都会になったけれど、みんな薄々「ここは心地よくない」と感じるようになっている。この循環をどうやって止めるかっていると・・・・・・。
福岡 もう止められない。それが現代のひとつの大きな問題なんですよね。資本主義は私たちを豊かにし、楽ちんにし、消費によるいろいろな自己実現をもたらしてくれたけれども、同時にあまりにも多くのことを損なっている。そういう思いはものを考えている人には通奏低音みたいなものとしてあるんじゃないかな。 157-158ページ

資本主義社会に対する疑問は多くの人に共通している。
ジョージ・オーウェルの描く世界を予言の扱っている限り、この流れは止められない。
しかし、別の未来図を描きこれを提出していくことによって、ほんの一握りの人々がその人たちだけのために描こうとしている未来図とは別の未来を実現できるかもしれない。

阿川 人間は暑いときには涼しく、寒いときには暖かくいられるようにと野放図に自然を改変して、自分たちだけがいい心地になることに邁進してきた。その分だけ隣の人、動物や自然は逆に心地よくないかもしれないと想像することをまったく放棄して、人間至上主義的な考え方で文明を作ってきたんですよね。
 でも、私は自然と人間は共存するのが一番いいんだから、人間は分を知るべきだと思うんです。 -160ページ

この後、福岡さんが同意しながら、機械論的な捉え方の問題を指摘しています。
「分を知る」というあり方が人間にとって数万年続く、本来の考え方であったのではないかと思います。

阿川 ただ、日本人は自然災害に対して寛大ですよね。悲しみは表現するけれど、どこかに諦観があるでしょう。自然に対してこんなにおおらかな国民はいないんじゃないかと思うんです。そういう意味では日本人はまだ人間至上主義よりも八百万の神に近い遺伝子を持っているような気がするんですけれど。
福岡 私はそれを遺伝子と言いたくないんです。それこそが文化だと思うんですよ。DNAには乗ってないんだけれども内面にあって人から人へ引き継がれてきたもので、外部で引き継がれてきた文明に対抗しうるものだと。 -167ページ

私はこれも、分を知るということの一つのように思います。また「ピダハン」の人々にも共通しているように思います。まだまだ、いろいろな民族を調べてみないといけません。

福岡 そうそう。私は今、キリスト教の大学で教えていますけれど、ミッショナリー(伝道)というのはある意味、非常におせっかいなんですね。未開のところに行って教化してくることを喜びとして、しかもそれが相手を幸福にすることだと考えているというのは、なかなか大変な人たちですよね。
阿川 本当にそう思います。だけど、そうすると、幸福って何?って考えざるを得ない。私は「飢餓の国、エチオピアの子どもたちに井戸を」というキャンペーンのレポーターとして。二回エチオピに行ったことがあるんですよ。その旅自体は私の人生において貴重な体験だったんですが、ジープみたいな取材車で各地を回っていたとき、私たちの車が壊れて運転手さんが必死に修理していたら、遠くから少女が裸足で水瓶を担いで歩いてきて。ニコニコしながら私たちに、貴重な水を分けてくれようとしたんでしすよ。
nbsp;その子は裸足だったんですけど、「裸足で重い水瓶を運ぶこの子を不幸と思うべきなんだろうか」と思ったんです。この子に靴を履かせることが果たして幸せに繋がるかどうか。その子の高貴な笑顔を見たら、文明を与えることがイコール幸せではないんじゃないかて。どっちが立派な人間なんだ?ってね。 -168-169ページ

陰謀論を知ることによって、新しく持った視点からすれば、キリスト教自体が乗っ取られて利用されている宗教であるから歪んだ形がでてくるのではないかと思えます。また、もともと永続的で自立した伝統社会を築いていた人々に、搾取を目的として無理やり嘘の幸福を押し付けようとしている勢力が存在しているということも見えてくるように思います。

 

福岡 怠けることが本来は一番自由なんですよね。生物の多くはそれを許してもらっていると思うんです。よく観察してみると、すべての生物が生存競争のために一瞬一秒たりとも休まずに闘争しているとか、子孫を残すために汲々としているわけではないですからね。むしろサボッています。
阿川 サボッている虫もいるのか(笑)。かわいい~。
福岡 もうちょっと頭を冷やして、ドリトル先生に学んだほうがいいかもしれません。ドリトル先生はこう言っているんです。「人の人生は短いものだ。荷物なんかで、わずらわされずのは、じつにつまらんことだ」って。これ、今のホームレスの話に似てますよね。 -170-171ページ

このホームレスの話(一生懸命働く目標が、現時点どうように、のんびりした生活を送るためであるという矛盾)は、すでに知っていましたが、私にとって常に頭に入れておきたい話の一つです。

 

福岡 遺伝子組み換え食品が世界の飢餓を救うとも言われているけれど、それは巨大バイオ企業のキャンペーンでしかないですよ。 -220ページ

遺伝子組み換えに関する知識も、宣伝ばかりが報道されているから、困ったものですね。

 

福岡 私は脳が体を支配しているという定義もおかしいと思っているんです。だって、脳を移植しても体は脳に乗っ取られてしまうわけではなくて、体の免疫系が一斉にその脳を排除しようと攻撃を開始する。だから、体の中心性は脳にあるのではないんです。 -221ページ

あわいの力』同様、脳ばかりを中心に据える人間理解の誤りを指摘しているのだと思います。
人間は体で感じたさまざまな感覚を元に感情の動きがあって初めて人間になっているのであって、脳の働きだけを強調して合理性ばかりに走っていると、人間ではなくなってしまうのだとつくづく思います。

福岡 それから、私がある高校で講演したとき、高校生に「福岡さんが言っている動的平衡はよくわかりました。じゃあ、どうして動的平衡の考え方が主流にならないんですか。どうして福岡さんは異端者なんですか」って質問されたんですよ。
阿川 高校生、優秀だな。私はそんな質問出ないわ(笑)。何て答えたんですか。
福岡 それは機械論的な考え方が資本主義社会に馴染むからだと。メカニズムとして体を考えるから医学が成り立つし、薬を開発できるし、操作的な最先端医療が可能になってそれを受けられる人が出てくる。動的平衡の立場に立つとアンチエイジングは意味がないし、薬もだましだまし使うべきだとか、飲まずに済むならそれが一番ですとかいうふうにしか言えない。そうすると、儲けられる人がいなくなっちゃう。 -236ページ

実に現在の社会では、おおっぴらに広められている理論や思想は、すべて資本主義にとって都合がよいからであると判断し、それとは異なるもっと適切な理論や思想がある可能性を常に前提としたほうがよさそうです。

福岡 私たちの体は、社長さんがいなくて、みんな平社員なのに会社がうまくいくような仕組みになっているんですよね。六十兆個ある細胞のどれも全体のことなんか知らない。- 238ページ

今後の社会のあり方を探る上で、このような事実は有用であるかも知れません。全体を統制することを放棄して、小さいたくさんの要素がそれぞれに相互に影響しながら独立して存続しつつ、全体としてうまくやっていくという世界を想定することができるかも知れません。

阿川 私はハカセみたいにきちんと考えて人生を歩んではこなかったんですが、振り返ってみると無意識のうちに「子ども時代」がいつも原点になっているような気がするんです。『週間文春』の対談を始めたときも、ゲストの子ども時代の話を聞くことを柱のひとつにしたいと思ったし、初めて書いた小説『ウメ子』も子どもたちの話でした。どこかで石井桃子さんのように「大人になってから、老人になってから、あなたを支えてくれるのは子ども時代の『あなた』です」と信じて、そこを探りたいと思っているのかもしれない。 -239-240ページ

ほんとうにこのとおりだなと思います。子どものときに感じた身近な生物に対する親近感や、ぐみ、柿、のいちごなどを木からもいで食べた思い出などが、今の自分の思想の原点になっているとつくづく思います。
そして、人間がこのまま地球で生きていきたいなら、身近な自然や魚が住み悪臭のしない川を残すことが何より大事だと思います。

本書で紹介されていた本(一部)

書名 著者 出版社 出版
せいめいのれきし 地球上にせいめいがうまれたときからいままでのおはなし バージニア・リー・バートン 岩波書店 1964年12月
飛ぶ教室 エーリッヒ・ケストナー 講談社文庫 2003年12月
子どもの図書館 石井桃子 岩波書店 1965年5月
うからはらから 阿川佐和子 新潮社 2011年02月
床下の小人たち メアリー ノートン 岩波書店 2000年9月