あらゆる人が平等に利用できていた「知識」を権利とすることで、世界は支配された

僕は、著作権や特許という概念が嫌でしょうがない。

元々、生物は、他の生物のまねをして生きる存在なのに、本来なら、縛り付ける必要などない世界なのに、特定の人に独占させる権利を与えるという考え方が理解できない。

五輪を人類の祭典だといいながら五輪を商売に利用するなら金を払えとか、子どもたちに楽しんでもらうはずのキャラクターを子どもたちがまねて作ったら壊させるとか、正気の沙汰とは思えない。

けれど、そんな権利(著作権、特許、意匠権など)を当然のことと主張する者たちが力を持って、厳しく取り締まらせているのが、文明社会だ。

彼らは、そうした権利を設定することで、欧州という本来貧しい土地へと世界中から富を集めて優位性を維持する。メディアを支配して著作物の価値を高め、司法を支配して特許を独占していく。「周辺」地域は、こうした権利が存在する限り、富を集めることはできないように仕組まれている。

世界中から集めた優れたコンテンツは少々手を加えて「オリジナル」であると喧伝したうえで配信され、彼らに富をもたらす。世界中の特許は、彼らの意図に従って、権利者が決められていく。

学校教育を通じで表向きの歴史を教わった世界中の人々は、彼らこそが権利の擁護者であり、権利の守られた世界を作り上げるリーダーであると信じ込むが、事実は違う。彼らは彼らの利益のために権利を設定し、彼らの利益のために運営しているにすぎないのだ。

動物たちは、誰の物でもない情報に権利という概念を持ち込むことの虚構性を教えてくれている。