(大阪城)御座所紀州御殿全景 戦前絵葉書 アルバム跡あり 複製

(大阪城)御座所紀州御殿全景
(大阪城)御座所紀州御殿全景
宛名面

宛名面

「紀州御殿」は通称で、正式名称は「天臨閣」。
「御座所」(ござしょ)行宮(あんぐう(かりみや))のこと。皇帝もしくは天皇の、行幸時あるいは、政変などの理由で御所を失陥しているなどといった場合、一時的な宮殿として建設あるいは使用された施設の事を言われる。他に行在所(あんざいしょ)、御座所、頓宮(とんぐう)とも。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%AE%AE)

紀州御殿については、「大阪城内に残る戦争の傷跡について」(pdf)に次のようにあります。
和歌山城二の丸にあつた書院造の御殿が、明治18年 (1885)大阪城本丸に移築されました。
当時、陸軍は大阪鎮台と呼ばれており、和歌山も同じ管轄下にあったため、移築が容易に
可能だつたといわれています。
この御殿は「紀州御殿」と称され、大阪鎮台(のちに第四師団司令部に改称)の 本庁舎として
使用されました。
明治天皇が明治20年 (1887)、 同31年 (1898)に 大阪行幸の際、この紀州御殿が行在所と
なりました。昭和6年 (1931)、 大阪城天守閣が復興され、紀州御殿の管轄が軍から大阪市
に変わりました。以後、迎賓館として利用されました。
昭和8年 (1933)、 昭和天皇の行在所となり「天臨閣」と改称されました。
昭和20年 (1945)、 大空襲時には天守閣同様、奇跡的に焼失せずに済みます。
日本の敗戦により大阪城はアメリカ軍の占領下となり、昭和22年 (1947)9月 12日 夜、
失火により全焼してしまいました。
 
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