日本郵船株式会社 汽船 上海丸五千二百五十九噸 戦前絵葉書

日本郵船株式会社 汽船 上海丸五千二百五十九噸
日本郵船株式会社 汽船 上海丸五千二百五十九噸
N.Y.K. LINE.
S.S. SHNGHAI MARU 5,259 TONS.
 
宛名面
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THE SUN NEVER SETS
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三菱グループのホームページに詳しく載っていますが、その起源は、土佐藩出身の岩崎彌太郎が海運事業を興したことに始まります。坂本龍馬の海援隊から、岩崎弥太郎の土佐商会へ海運業が引き継がれ、日本郵船の土台が築かれました。(https://job.rikunabi.com/2020/company/r344800096/blog/detail/2/)
 
以下、三菱グループのホームページより

三菱グループの礎を築いた男

歴史を繙くと、社会が大きく転換し発展するとき、必ず新しいビジネスが勃興するものです。幕末・維新もそのような時代でした。まさに岩崎彌太郎は、日本が近代に向かう時代を代表する起業家の一人です。

幕末期、彌太郎は土佐藩の役人として長崎に赴任、樟脳や鰹節など土佐の特産品を売り、軍艦や武器を購入していました。その後大阪に移ると貿易と海運に辣腕をふるい、藩の活動に大きな役割を果しました。

しかし明治維新政府は廃藩置県にともない、藩営事業禁止の方針を打ち出します。
1870(明治3)年、土佐藩の有力者である後藤象二郎、板垣退助たちは、私商社として九十九商会を設立し藩の海運事業を譲渡します。事業に最も精通している彌太郎に経営・監督を一任、これが「三菱」の誕生となりました。

翌年、廃藩置県により土佐藩は消滅し、九十九商会の経営を彌太郎が引き受けることとなりました。73(明治6)年には社名を三菱商会と改称、自ら「社主」に就任し、ここに名実ともに実業家・岩崎彌太郎が誕生したのでした。

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