紀州白浜 温泉ホテル 娯楽ホールと噴泉大浴場 牧逸馬の短文入り

紀州白浜 温泉ホテル 娯楽ホールと噴泉大浴場 牧逸馬の短文入り
紀州白浜 温泉ホテル 娯楽ホールと噴泉大浴場 牧逸馬の短文入り
左:温泉ホテル 娯楽ホール (紀州白濱)
The dance hall of Onsen Hotel, Shirahama
 
右:温泉ホテル 噴泉大浴場 (紀州白濱)
The bath-room of Onsen Hotel, Shirahama 
 
行くさきさきの、砂の小径に、夢のかけらのようなやさしい浜木綿の花が、咲いていた。うしお遠鳴る磯づたいの道にたって、じっとその浜ゆうの花を見おろすと、それは、まるで、陸の水泡のように思われるのだ。牧逸馬
 
宛名面
宛名面

「温泉ホテル」という名前のホテルのようですが詳細は不明です。

牧逸馬(長谷川海太郎)と白浜の関係については、和歌山大学から公開されている資料「近代期の和歌山県における観光地の 形成とその背景」(pdf)に、次のようにあります。

 また温泉場の売り出し名となった「白浜」も、大正10(1921)年に白浜土地の依頼によ
り杉村楚人冠らが「白良」の名を考案していたが、同じ頃南海鉄道が慣用化した「白良
浜」の略称「白浜」が一般に浸透したこと16)、そして土地会社が追認する形で大正12
(1923)年から社名に「白浜」を掲げたことで定着している 。すなわち「白浜」という名
は、鉄道会社とそれに歩調を合わせた土地会社によって、大阪を中心とした都市住民の
感性を考慮に入れつつ生み出されていたのである。その後、昭和8(1933)年にこの地に鉄
道が到達したが、その駅名が「白浜口」となったことで、「湯崎白浜」や「白浜湯崎」な
どと呼ばれていた温泉地一帯が、次第に「白浜」と呼ばれるようになっていった。そし
てこの白浜の白さのイメージは、昭和8(1933)年に大阪毎日新聞に連載された牧逸馬著の
恋愛小説「新しき天」において、主人公の女性が白良浜の砂を「まあ!何てきれいな
砂!まつ白なー。」(『大阪毎日新聞』1933年6月28日)などと賞賛しているように、観光客
の憧れを喚起するものとして定着していったのである

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