平均寿命15歳

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縄文時代の平均寿命は、高い乳幼児死亡率もあって、15歳にも達していなかったという推測があります。鎌倉時代でも24歳ほどだそうです。このことから、昔の人はかわいそうだった、今の人は幸せだというように単純に考えてよいかというと、そうでもなさそうです。
 
命について調べていくと、縄文時代の状態は、正常な自然な状態に近く、今の状態は、異常な不自然な状態であることが見えてくるからです。
 
生物は完成された状態で生まれてくるのではなく、生まれた後で周囲の環境に合わせて免疫をつけ、体温の維持や、食物の消化吸収という機能を発達させる必要があります。そうすることで、周囲の環境を大きく変えるのではなく、周囲の環境に合わせて生きることのできる生命になります。そうした適応に失敗すれば死ぬしかありません。だから、乳幼児死亡率は高くて当たり前でした。
 
多くの個体が命を落としていくことは、生態系にとって必要なことです。そうした死がなければ、命にあふれる環境を維持することはできず、生態系は細っていってしまいます。
 
縄文時代の短い命は、だから、自然で、正常な状態でした。
 
そうした世界に生きていた人々がアニミズムの世界に生きたことも当然でしょう。それは、人だけを特別視しない、本来の生命の世界で生きる宗教だったからです。
 
 
 
現代社会の真の姿を多くの人は知りません。
西洋中世の暗黒時代や、奴隷貿易、植民地経営、帝国主義を経て、人は、自由・平等・博愛の市民社会へと向かっているという嘘を教える教育と、この教育に沿って、人の理性や利他性、共感性などを非現実的なまでに強調するメディア情報のせいで、現代社会の真の姿は隠されたままになっています。
 
現代社会の真の姿とは、利己的な存在である生命が、言葉という道具を手に入れて作り上げた、利益追求システムです。あらゆる活動がほんの一部の人びとの利益になるように調整された世界です。あらゆる活動は正しさの前に制限されていき、あらゆる活動は貨幣経済の中に組み込まれ、あらゆる共同体は解体されて変わりに通信技術によって伝えられる情報が社会を統制する。あらゆる価値観は、このシステムを維持するために役立つかどうかによって取捨選択を受け、変容させられる。
 
人の平均寿命を80年にも伸ばした技術は、こうした利益追求システムの産物でしかありません。その中で、人は本来の生き方をすることなどできず、このシステムの許す価値観だけを受け入れさせられて、いつも競争を強いられ、経済活動を続けるしかない存在になってしまっています。
 
人の一生は、この利益追求システムに自分を適合させるための「自分磨き」「計画的な人生」「保険を掛けた暮らし」に終始することになって、縄文時代の人びとであればもっていたような、やすらぎの時間、命の本質を感じる時間を持てなくなってしまっているのです。
 
現代社会が一部の人びとによる利益追求システムでしかなく、選挙も国家も学校も医療も食料もあらゆるものがそこに組み込まれているという事実を認めなければ、何も始まらないだろうということを、オリーブの木にもNHKから国民を守る党にも、桜井誠さんにも平塚正幸さんにも知って欲しいと私は思っています。