郷土文化 第23巻第1号(岐阜在城期までの斎藤徳元/暮雨巷暁合の門人 都貢/尾張・三河路に潜居した香川敬三と同志 富田九郎など)

2019年11月10日

郷土文化 第23巻第1号
郷土文化 第23巻第1号
■目次
山田秋衞先生のことども……………………….篠原 薫(1)
斎藤斎宮頭年譜考証(1)_岐阜在城期までの徳元-…….安藤武彦(3)
定光寺の開板 その他………………………….太田正弘(13)
制 札………………………………….森 徳一郎(17)
暮雨巷暁合の門人(その3)………………………服部徳次郎(19)
尾張・三河路に潜居した香川敬三と同志…………..志賀 信(29)
 ―隠れた尾張在の勤皇奉士富田九郎一
郷土忌辰録(その4)……………………………舟橋寛治(37)
雑報(理事会報告・見学記録・手紙の会)………………….(44)
 
昭和43年発行 56ページ
 
■内容について 同梱の付録より
斎藤斎宮頭年譜考証(1)_岐阜在城期までの徳元-」:徳元(とくげん)は、永禄二年(1559)岐阜生まれの俳人・連歌師・狂歌師・仮名草子作者。本稿では、永禄ニ年の出生 から慶長五年八月、岐阜城攻防戦に敗 れた徳元が、ついに美濃国を退去する に至るまでの、すなわち第三期までを 比較的良質な資料をふまえて年譜風に 考証してみることにした。
定光寺の開板 その他」:定光寺は、瀬戸市沓掛にある。応夢山と号し、京都妙心寺の末寺で、建武三年(一三三六)、勅謚覚源禅師が開基 した臨済の巨刹である。元和八年(一 六ニニ)尾張藩祖徳川義直がこの地に 遊猟して山林を寄進し、のちもしばしば来遊した。死後自分の屍をこの地に葬るよぅ遺命した。義直は、慶安三年五月七日江戸で歿したので、霊柩を当山に埋め、併せて廟所を営んだ。廟は明の帰化人で、義直に仕えた陳元贇の 設計になるといわれる。広大な山内に仏殿、方丈、鈍楼、開山塔、廟御を連ねた景観は、国中の勝境と称される。定光 寺本堂おょび廟所全部の建造物は国宝 に指定されている。筆者は、ここで開板された「聖徳太子五憲法」を中心に 定光寺版などについて紹介している。
尾張・三河路に潜居した香川敬三と同志」:香川敬三(一八三九丨一九一五)は雄新時代水戸藩出身の勤王志士。筆者は、この香川敬三の同志である富田九郎の事蹟を本稿において紹介し ている。