下関名勝 唐戸市場 KARATO, SHIMONOSEKI 昭和14年認可

2019年8月25日

 

下関名勝 唐戸市場

下関名勝 唐戸市場
宛名面
宛名面
「日本の歴史と日本人のルーツ」の唐戸市場、下関市に、この絵葉書の彩色バージョンを含め、唐戸市場の歴史が記されています。
① 唐戸市場の歴史(参考、wikiより)
明治期、下関は西日本最大規模の金融街として栄えた。その中心地だった唐戸は明治42年、野菜や果物の路上販売が許可され、市場の始まりとなった。下関は山々が海に迫っており、唐戸市場は当初、国道9号北側の亀山八幡宮にあった。
大正13年、魚市場が阿弥陀寺町から移転して「唐戸魚市場」ができ、昭和8年には現在地に合併して「下関市唐戸魚菜市場」が開設された。当時から、日本では珍しい業者向けの卸しと、市民や観光客向けの小売りが混在する形態を取ってきた。
施設が手狭になったことを受けて、1976年(昭和51年)6月に青果の卸売部門を勝山地区に分離移転(この時点で卸売部門は正式名称を「下関市地方卸売市場唐戸市場」に名前を改めている)、さらに施設の老朽化に伴い2001年(平成13年)4月25日に下関市立しものせき水族館(海響館)の整備などとあわせたウォーターフロントの再開発事業により現在地に移転して、観光の要素を寄り強め、魚介類を中心とした総合市場として今に至っている。
 
② 金子みすゞが写真を撮ってもらった三好写真館が亀山八幡宮の階段下の西側にあったが(参考)、これを挟むように更に西側に市場を建てた。
 
③ 魚市場の出来る前、料亭魚百合があった(参考)
長州勢力が明治維新にあたって、国際金融資本と手を組んだことから、下関が西日本最大規模の金融街になったのでしょうか。
 
絵葉書中央の建物が旧英国領事館であることからも、長州藩と国際金融資本の結びつきの強さがうかがえます。
 
(コード:19/08/25-1)