頼みごとをするときは、猫もやさしくトントンする。

この子はハナちゃん。オス。8月2日で5歳になりました。
 
猫に心はあるのかと問う人があります。
キリスト教では動物には魂がないことになっているから、心もないと思い込んでしまうのでしょうか。
 
子どもの頃から身近に多くの動物がいた私にとって、動物に心がないと想定することは、まるで現実を知らない人の言葉のように聞こえます。
 
たとえば、この動画に撮影した行動は、暑いけれどもクーラーの涼しさは気に入らないので、タイルの上に寝て体温を放出しつつ、眩しいので顔を手(前足)で覆っている様子です。そうした行動も心があればこそのものでしょう。
 
もっと、心を感じるのは、猫が頼みごとをするために、私たちを前足でとんとんと軽くたたく仕草をするときです。そんなとき、猫は力を加減して、相手が痛くないようにしています。強く叩けば相手が怒り、頼みごとを聞いてもらえなくなると知っているようです。
 
夜、一匹で寝ていることに気づいて、寂しくなったのか、危険を感じるからなのか、皆のいる他の近くに来たり、オス猫は母猫に対してはグルーミングを行わないのに、別のメス猫に対しては、母猫が自分にしてくれるようなやさしいグルーミングをしてやっていたりと、猫たちの心は、私たちの心と変わるところがないようです。
 
最近は、人間は言葉を持ってしまったばかりに、元々わかっていたこうした事実をどんどん忘れていって、その上、自分が動物だということまでうっかり忘れて、困り始めているんだなと思うようになりました。
 
家畜は、愚かだから食べてもいいのだというのではなく、心を持つから食べてはいけないというのでもなく、家畜や他の動物にも同じような心があることを知っているけれど、私たちは生きるために殺して食べるのだと認識することのほうが、生命の世界をより正確に理解することになるように私には思えます。