伊勢の津の風景 津市観光協会 タトウと絵葉書3枚


津の風景 タトウ
津の風景 タトウ
津の風景 タトウ裏面
津の風景 タトウ裏面
水源地・偕楽公園
水源地
津市水道の水源池は市外片田村にあり湛水面堉14へクタ一ル市民6ケ月分の水を貯える事が出来る。附近の丘凌地带は桜やつゝじが良くハイキングコ一スとして訪れる人が多い。
 
偕樂公園
昔藤堂公の山荘として作られたこの公園は今は市民の憇の場所として開放せられ春のさくらと 全山のつゝじは有名で博物館等もあり四季を通じておとずれる人が多く、春の花見時は数万の人出である。
  山になりた 御山荘の山に 春は櫻の
    あの晴すがた 散ればつつじの
      散ればつつじの 濃むらさき
津城址・丸ノ内夜景
津城址・丸ノ内夜景
津城趾
藤堂35万石西国33ケ国の旗頭の居城時代は代り400年つはものどもの夢のあとただ老松と石垣がのこるのみである、城内に藤堂高虎公を祀る高山神社がある写真の門は藩校有造館今は図書館の門ある。
 
丸ノ內夜景
津市の本通国道23号線は丸ノ内を通リ、両測には有名商店が櫛比し昼夜数千台の自動車が通り夜はネオン輝く広小路として散策に買物に市民に親しまれて居る。
潮干狩・賑わう子供大会
潮干狩・賑わう子供大会
潮干狩
遠浅の津海岸は至る所に潮干狩が出来る。特に干潟数丁の御‘股場浜や阿漕浦は年中潮干狩の人々がある。とれる貝はまて貝、はまぐり、あさり、ばか貝、おゝのがひ等多種多様である。
 
賑はふ子供大會
津の海は泳ぎよいので毎日たくさんの人出、今日は子供大会くろんぼ大会で大賑いである。
一度泳いだ安濃津の海が
  三度四度来て つい忘られぬ
    網の數ほど 網の數ほど 濱がよひ
宛名面
宛名面
安濃津について(コトバンクより)
安濃津【あのつ】
伊勢(いせ)国の地名。安乃津とも書く。現在の三重県津市にあたり,本来は安濃郡の津(港)の意。《中右記》嘉保3年(1096年)12月9日条の裏書に後聞として〈安乃津〉の民戸が地震による大津波で破壊されたことが記されており,平安末期にはすでにかなりの民戸をもつ港であったらしい。筑前(ちくぜん)国博多津と薩摩(さつま)国坊津(ぼうのつ)とともに日本三津(さんしん)の一つ。1498年地震による大津波で壊滅,港としての機能は失われた。なお平安末期の安濃津一帯には伊勢神宮領の安濃津御厨(みくりや)が成立しており,江戸時代には内陸寄りに藤堂氏の津城下が形成された。
何度も地震・津波の被害を受けているようです。
 
阿漕浦について(コトバンクより)
阿漕浦
あこぎうら
「あこぎがうら」ともいう。三重県津市,伊勢湾にのぞむ海岸。岩田川河口から相川河口までの単調な直線状の砂浜海岸で,春は潮干狩り,夏は海水浴に利用され,冬はノリ漁場となる。かつては伊勢神宮の供物の漁場で,殺生禁断の海であった。昔貧しい漁夫平治 (次) が病母のためこの海で魚をとったため罰せられ,簀巻きにされて海に沈められたという物語は,謡曲,浄瑠璃に歌われて有名。近くに平治 (次) の霊をまつる阿漕塚がある。観海流泳法の発祥地といわれる。南半分を御殿場浜とも呼ぶ。一帯は伊勢の海県立自然公園に属する。
母思いの貧しい漁師を殺してしまうという話は、ひどい話ではありますが、実際のところ、人類が環境を維持していくためには、人命よりも資源保護を優先せざるを得ないのだということを、狩猟採集社会を中心として、人類学関係の本を読んでいると考えるようになります。
 
■販売
ヤフオク出品中:商品名:HY19/07/23-1