天下の名苑 岡山後楽園 BEAUTIFUL KORAKU-EN 岡山県岡山市

岡山後楽園 袋
岡山後楽園 袋
岡山後楽園 袋裏面
岡山後楽園 袋裏面
絵葉書4枚
絵葉書4枚 記念スタンプ押印あり

宛名面
宛名面
絵葉書4枚
絵葉書4枚 記念スタンプ押印あり

宛名面
宛名面
絵葉書8枚と袋です。2枚は通信面にスタンプが押されていて14.7.30の日付が入っています。
 
後楽園の歴史が岡山後楽園のサイトに記されています。
時代と共に移り変わる後楽園
 岡山後楽園は、今から約300年前に岡山藩2代藩主池田綱政[いけだつなまさ]が藩主のやすらぎの場として作らせた庭園です。
 綱政の時代には、藩主の居間延養亭[えんようてい]や園内に点在する建物の座敷から眺望を楽しむという要素の強い庭でした。
 綱政の子継政[つぐまさ]は能舞台周辺の建物を大きく改築し、園内中央に唯心山を築き、そのふもとに水路を巡らせ、沢の池と廉池軒の池を結ぶひょうたん池を掘らせました。こうした改変で庭を巡り歩いても楽しい回遊性が備わってきました。継政の孫治政[はるまさ]は倹約のため、田畑の耕作に当たっていた人々をやめさせ、一時的に芝生の庭園となりますが、その後すぐに園内東の大半は田畑へと戻ります。現在の井田[せいでん]はその名残です。こうした時代ごとの藩主の好みや社会事情によって後楽園の景観は変化し、その積み重ねが歴史となっています。
沢の池から岡山城を望む城の庭としての風格が漂う写真2
江戸時代のおもかげを伝える日本三名園
 また、江戸時代の後楽園には、許しがあれば領民も入ることができました。能を好んだ綱政は自ら舞う姿を見せたり、継政以後の藩主たちは、参勤交代で岡山を留守にする間は日を決めて庭を見せています。また、藩主のお客をもてなす場としても使われました。
 明治4年(1871)、池田家では「御後園」を「後楽園」と改め、17年には名園保存を目的に岡山県に譲渡しました。当初は公園ではなく県庁付属地として公開されたため、日没閉門などの決まりを作って保存が図られました。
 昭和9年(1934)の水害、20年の戦災に遭いましたが、江戸時代の絵図などに基づいて復旧がはかられ、江戸時代の姿を大きく変えることなく今日に受け継がれています。
 大正11年に名勝に指定され、昭和27年には文化財保護法による特別名勝に指定されました。江戸時代のおもかげを伝える庭園として多くの方に愛され、金沢の兼六園、水戸の偕楽園とあわせて「日本三公園」と称され、今では日本三名園として親しまれています
『逝きし世の面影』に描かれた江戸時代の様子をうかがわせるエピソードになっています。
 
■販売
ヤフオク出品中:商品名:HY19/07/22-1