福岡 東公園 日蓮上人銅像と亀山上皇銅像 計4枚 元寇

 

日蓮上人御銅像
日蓮上人御銅像
日蓮上人銅像台座 元軍
日蓮上人銅像台座 元軍
日蓮上人銅像台座 立正安国
日蓮上人銅像台座 立正安国
元寇記念碑亀山上皇御銅像
元寇記念碑亀山上皇御銅像
宛名面
宛名面

福岡県観光情報公式サイト クロスロードふくおかによると、日蓮上人銅像は明治37年11月4日建立です。【福岡市】東公園にある亀山上皇銅像はなぜ北条時宗にならなかったのかによれば亀山上皇銅像も明治37年建立で、次のように記されています。

13世紀後半の元(モンゴル)軍の来襲の際に、「我が身をもって国難に代わらん」と伊勢神宮などに敵国の降伏を祈願された亀山上皇の故事を記念し、福岡県警務部長(現在の警察署長)だった湯地丈雄氏等の17年有余の尽力により、明治37年(1904年)元冠に緑あるこの地に建立されました。高さ約6メ一トルを誇るこの像の原型となった木彫像は、当時、高村光雲門下で活躍していた、博多櫛田前町生まれの彫刻家山崎朝雲の代表作のひとつで、現在は筥崎宮の奉安殿に安置されています。

 

元寇について詳しく記した「元寇(文永の役・弘安の役)のすべて~本当に「神風」は吹いたのか?」という記事があります。これには、元寇に関する日本側の資料は少なく、また祈祷の効果があったとする寺社側の資料は比較的多いことから、嵐の効果が強調されている可能性が指摘されています。

元寇という言い方は江戸時代からのことのようです。

過去の日本人の元寇に対する認識には、江戸時代の歴史家・頼山陽が書き、幕末から明治にかけて最も多くの日本人に読まれたいた『日本外史』の記述から、元寇の勝利は鎌倉武士の奮戦によるであると一般に認識されていたとあります。

さらに、元寇の有名なあの絵は鳥飼には、元寇(文永の役・弘安の役)のすべて~本当に「神風」は吹いたのか?の扉絵にも使われている、竹崎季長が功績を示すために書かせた蒙古襲来絵詞(部分)に描かれている元軍の兵士たちは、後になって書き加えられたもので、本来は逃げ返る元軍を追う様子を描いたものであったらしいとのことです。

「立正安国」については、『日蓮「立正安国論」全訳注 (講談社学術文庫 1880) 』という本がでています。

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