鎌倉星月ノ井戸 Hoshino-Ido at Kamakura

2019年5月21日

 

鎌倉星月ノ井戸

鎌倉星月ノ井戸
宛名面
宛名面
鎌倉市坂之下にあります。近くに星の井通りという信号もあり、Googleストリートビューで見ることもできます。詳しい説明と2011年に撮影された写真が、 鎌倉史跡・寺社データベース 星月井にあります。
 
長谷の御霊神社から極楽寺坂へ通じる道へ出て、極楽寺方面へしばらく進むと右側に星月井があり、傍らには鎌倉青年団の史跡碑が立っている。碑には「星月夜の井は(また)一つに星の井とも言う。鎌倉十井の一つで坂ノ下に属している。昔、このあたりは老木が多い茂り、昼でもなお暗かった。これゆえ星月谷と言ったのを後に転じて星月夜となった。井戸の名はおそらくここに基づく。里の古老が言うには、昔、この井戸は昼も星の影を見た。そのためにこの名があったが、近くの女が誤って包丁を井戸に落として以来、星の影は見えなくなってしまった。この話はもっとも里人が信じているものである。慶長5年(1600)6月、徳川家康が京都より帰る途中、鎌倉を通り、この井戸を見たことがあり、このためその名が知られるようになった。水質は清く、飲むのにも良い」といった意味の言葉が刻まれている。
 
 井戸の上には虚空蔵堂がある。もとは明鏡山円満院星井寺といい、行基がこの地で虚空蔵法の修行を行った時、この井戸が光り輝いたので、近在の人を集め、井戸の水を汲み出したところ、井戸から黒光りした石が現れたので、それを祀ったと伝えられている。この石と虚空蔵堂は現在は向かい側の成就院が管理している。

 なお、この井戸のことはすでに「われひとり 鎌倉山を こえゆけば 星月夜こそうれしかりけり」と「堀川院百首和」所収の歌に見えている。また伝説は長谷観音・高徳院の大仏と並んで長谷観光の名所であったらしく、「北は円覚建長寺 南は大仏星月夜 片瀬腰越江の島も ただ半日の道ぞかし…」と「鉄道唱歌」東海道編でも歌われている。
大正時代には「かけ茶屋」があり、関東大震災で廃業したものの昭和初期までは水を売っていた書かれたサイトもありますが、かけ茶屋の写った写真は見つかりません。
 
この絵葉書は、通信欄の罫線が3分の1ですので明治40年4月〜大正7年(1918)3月までのものと思われます。右に少し写っているのが「かけ茶屋」かもしれません。

 

(コード:19/05/21-1)