鴨島大菊人形 八紘一宇(八紘之基柱)徳島県吉野川市

2019年5月8日

鴨島大菊人形 八紘一宇
鴨島大菊人形 八紘一宇
宛名面
宛名面

徳島県吉野川市のサイトに鴨島の菊人形展に関する説明があります。

鴨島大菊人形の歴史は古く、1925年(大正14年)筒井製糸が町民の娯楽の為に開催したのが始まりです。それが大変好評で、1927年(昭和2年)には今の麻植協同病院の東側に「菊遊座」ができ、菊人形展が盛大に行われるようになりました。また、菊の愛好家達で作る「菊友会」もでき、皆菊作りに腕を競い合い、昭和3年には天皇陛下に菊花を献上するまでになったのです。


 その後、菊人形展は戦時中、一時中断したものの1949年(昭和24年)には「有楽座」という菊人形館が誕生し、当時は娯楽が少なかったので、「有楽座」は町外からも臨時列車が出るほどの大盛況ぶりだったのです。しかし、1960年(昭和35年)火事で全焼し、すぐ復興はするものの今度は手を広げすぎ経営難になり休業。その後、吉野川遊園地で開催されるようになったのですが、1968年(昭和43年)にはひっそりと幕を閉じました。


 しばらくブランクがあった菊人形ですが、1977年(昭和52年)、鴨島駅前で鴨島町観光協会が主催となり復活。1996年(平成8年)からは吉野川市役所イベント広場に舞台を移し現在に至っています。

この絵葉書では「八紘一宇」の文字を読むことができます。紀元2600年(1940年)を祝って宮崎県宮崎市に、1940年(昭和15年)11月25日に完成した八紘之基柱(あめつちのもとはしら)を模したもののようです。

調べてみると、八紘一宇について記したページは多く見つかりますが、日本書記の神武記にまで言及したページは少ないようです。

上則答乾霊授国之徳、下則弘皇孫養正之心。然後、兼六合以開都、掩八紘而為宇、不亦可乎

この言葉の真意についても、さまざまな解釈があり、初代天皇とされている神武天皇を祀っている橿原神宮による説明が一応の定説とされているようです。

 

果たして天皇家は日本人であるのかそれとも半島人であるのか。天皇家と藤原家のどちらが主であるのか。日本は明治以降も独立国であったといえるのか。戦争へと導いたのは日本の中枢にいた武器商人たちの代理人ではなかったか。キリスト教やイルミナティによる「世界平和」と八紘一宇による世界平和に違いはあるのか。そういったことを考えさせられます。

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