紀伊熊野百景 瀞峡 瀞峡田戸(奈良県十津川村・和歌山県・三重県)

紀伊熊野百景 瀞峡 瀞峡田戸
紀伊熊野百景 瀞峡 瀞峡田戸 (活字の一番下の行は印刷が途中で消えています)
宛名面
宛名面

瀞峡-田戸発着場-(2012年の投稿)に同じ場所の近年の写真があります。右手のほうの家が減っているようです。川に降りる石段を上った左手にある建物は瀞ホテルという旅館のようです。

田戸 瀞ホテル(2008年の投稿)には次のようにあります。

瀞峡トンネルへ行った時に田戸へ寄ってきました、田戸には瀞峡観光のジェット船発着場があります。
奥瀞道路は年に数回通りますが田戸へ来るのは20年振りくらいでしょうか。
以前は車を停める所が少なく数台しか停めれませんでしたが、今は駐車場が数箇所に作られており余程の事がない限り駐車場所に困る事はなくなったようです。
 
終点のバス転回場前の階段を下りるとジェット船発着場や売店のある河原に着きますが、下りる途中に瀞ホテルがあります。
初めて見た時は「えらい古い建物やね~泊まる人おるんかいな」と思いましたが数年前ネットで調べるといつも予約で一杯の人気の宿だったそうですが今はご主人がお亡くなりになり休業中との事です。

【十津川村瀞(どろ)ホテル】景勝地・瀞八丁で歴史を受け継ぎ今に伝える、この集落のことも含めて詳しい説明があります。

この峡谷のがけの上には、建物がある。それは築100年以上、開業96年の元旅館「瀞(どろ)ホテル」。大正6年「あづまや」として開業し、当初は山で切り出した材木で筏を組んで運ぶ「筏師(いかだし)」のための宿だった。その後「招仙閣」と名を変え、昭和初期には「瀞ホテル」という名称となった。当時は他の宿屋も多数あり、宿泊地として賑わっていたとのこと。しかし、戦後多くの宿屋は取り壊され、今では「瀞ホテル」だけが、当時の筏宿の歴史をしっかりととどめている。その素晴らしい歴史的建造物は、いま「食堂・喫茶」として昔の良さと共に新しい歴史を刻み始めている。

瀞ホテル瀞ホテル

生まれ育ったこの場所にカフェを作るということ
「瀞ホテル」というカフェのオーナー、東達也さん。
お父様が亡くなられてから、この建物はホテルとしての長い歴史にいったん幕を下ろしたのだった。そして、跡継ぎである達也さんが建物を蘇らせ、いまはひとまず食堂・喫茶として営業している。「瀞ホテル」のある十津川村は、実は「日本最大の面積を持つ村」なのだが人口は約3,800人。やはり「過疎」が進む地域のひとつである。そのような地域環境の中で、達也さんを突き動かしたきっかけは2011年8月の台風による被害であった。紀伊半島を直撃した台風12号は十津川村の各地にも大きな被害をもたらした。歴史的建造物である「瀞ホテル」も別棟が流されるほどの被害であった。その自然災害から、達也さんは「瀞ホテル」の再会を目指し、改修をはじめ「まずはカフェから」と少しずつ建物を直し、強い行動力を示した。

この写真の集落は筏師たちのための宿であったことがわかります。

田戸という地名については、田戸の地名につきてという文章が見つかりました。この周囲の他の地名とは異なり、由来がわからないということで思案していたところ、平家の末裔であるという田戸を姓とする人が訪ねてきたことで、平家に関連する地名であろうと推測してあります。

資料はなけれど、田戸と云ふは前記の如く田戸の姓(子孫も今ある)を有したる平氏の一党の栄えしことあるらし。

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